戦争の悲しい悲劇 「焼き場に立つ少年」

日本の守護神様、どうか日本を蝕む売国奴議員と特ア3兄弟に天誅を!
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010/08/23(月)


war.jpg
「焼き場に立つ少年」
1945年 長崎 撮影 ジョー・オダネル



皆さんはこの写真を見てどんな気持ちになりますか?
私はごく最近知ったんですが、かなり有名な写真だそうです…

日本国中で戦争による悲劇が沢山あったでしょう…




このような少年でも立派な日本男児であった


この写真はそんな思いをひしひしと感じさせます。







*

目撃者の眼  報道写真家 ジョー・オダネル

1999年現在76歳になるジョー・オダネル氏は、アメリカ軍の
報道写真家として第2次世界大戦後の日本を撮った。


佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺め
ていました。すると白いマスクをかけた男達が目に入りまし
た。男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をし
ていました。荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の
中に次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。お
んぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は
当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の
様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼
き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも
裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目
を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠
っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひも
を解き始めました。この時私は、背中の幼子が既に死んで
いる事に初めて気付いたのです。男達は幼子の手と足を持
つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえま
した。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な
夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を
赤く照らしました。その時です、炎を食い入るように見つめる
少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。少年が
あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、
ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が
静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を
去っていきました。(インタビュー・上田勢子)

[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]




ジョー・オダネル氏について
「原爆の夏 遠い日の少年」(テレコムスタッフ、BS-i製作)より


アメリカ南部テネシー州ナッシュビル在住。軍曹として第二次世界大戦に従軍後、1945年9月、占領軍のアメリカ空爆調査団の公式カメラマンとして訪日。

およそ7ヶ月間、長崎や広島を歩き、日本と日本人の惨状を目の当たりにした。その後、ホワイトハウスのカメラマンとして、トルーマンからジョンソンまで4代にわたる大統領の元で写真を撮影。

なかでも暗殺されたケネディの棺の前でジャクリーンが息子ジョンに「敬礼」させた写真は世界中に配信された。「焼き場の少年」をはじめとする日本の市民を撮影した彼のネガは、検閲を免れるためフィルム箱に納められオダネル氏のもとで保管されていた。

「ネガにうつった日本人に笑顔はなかった。幸せなんてどこにもなかった」(ジョー・オダネル)




ジョー・オダネル氏についてのドキュメンタリー 2008/8/7放送
NHKスペシャル「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080807.html

この写真を撮ったアメリカ人カメラマンのジョー・オダネルは、軍の公式カメラマンとして、原爆投下の1ヵ月後の長崎に入った。そこで目にした惨状を、「日本人を撮るな」という軍の命令に背いて、密かに持ち込んだ自分のカメラで30枚の写真に記録しアメリカに持ち帰った。しかし43年間そのネガをトランクに入れたまま封印。それを被爆者の写真を貼った反核運動の彫像を見たことをきっかけに開くことになる。・・・。昨年亡くなったオダネルの遺品から見つかった(カセットテープの)肉声をもとに、NHKの番組は伝える・・・・


ナレーター:
今から63年前、長崎の火葬場で撮影された一人の少年。背負っているのは原爆で死んだ弟です。弟を焼く順番を待ちながら、悲しみに耐える少年。歯を食いしばるその唇には、血が滲んでいたといいます。写真を撮影したのはジョー・オダネル軍曹。

長崎を南北に貫く浦上川。そのほとりに下りていったオダネルは、生涯忘れられない光景と出会います。そこは火葬場でした。焼け野原を一人の少年が歩いてきました。少年は、背中に小さな弟の亡骸(なきがら)を背負っていました。

オダネル:
『一人の少年が現れた。背中に幼い弟を背負っているようだった。火葬場にいた2人の男が弟を背中から外し、そっと火の中に置いた。彼は黙って立ち続けていた。まるで敬礼をしているかのように。炎が彼のほおを赤く染めいてた。彼は泣かず、ただ唇をかみしめていた。そして何も言わず、立ち去っていった…』


帰国後、オダネルは長崎での記憶に精神をさいなまれます。


オダネル:
『被爆者たちの体をうごめくウジ、助けを求める声、鼻をつく異臭。私は長崎での光景を思い出すまいとした。しかしその光景は頭から離れず、私をさいなみ続けた。あの時のアメリカの決断は正しかったと言えるのだろうか。
眠ろうとしても眠れないのだ。悪夢が終わらないのだ。写真を見たくなかった。見ると長崎の悪夢がよみがえってしまう。』



苦しみから逃れるため、オダネルは全ての写真をトランクに封印しました。屋根裏部屋に隠し、以後43年間開ける事はありませんでした。

日本に原爆を落としたことをどう思っているのか。オダネルは一度だけ、自分の思いをトルーマン大統領にぶつけました。それは1950年の出来事でした。


オダネル:
『大統領、私は長崎と広島で写真を撮っていました。あなたは日本に原爆を落としたことを後悔したことはありませんか?』

彼は動揺し顔を真っ赤にしてこう言った。

『当然それはある。しかし原爆投下じゃ私のアイデアではない。私は前の大統領から単に引き継いだだけだ。』



1989年オダネルの運命が変わります。オダネルは偶然立ち寄った修道院で、そこに飾られていた(十字架を背にした)反核運動の彫像に出会います。その全身には被爆者の写真が貼られていました。


オダネル:
『私は彫像を見て衝撃を受けた。罪のない被爆者たちの写真が彫像の全身にはられていたのだ。それを見たときの気持ちは言い表せない。長崎の記憶がよみがえりとても苦しくなった。しかし、私は何かしなければと痛烈に感じた。まさに啓示だった。自分も撮影した真実を伝えなければならないと。』


オダネルは屋根裏部屋に行き、43年ぶりにトランクを開けました…

(1990年、アメリカの各地で写真展を試みるが、原爆の写真を受け入れる施設はない。本にしたくても出版社から断られる。原爆投下は誤りだと、母国アメリカを非難する声は結局同胞には届かず、その行動を理解できない妻は離婚。トランクを開けたときから家庭は崩壊した。孤立を深めながらも、それでもジョー・オダネルは戦争非難活動を続ける。)


オダネル:
『誤解しないでほしい。私はアメリカ人だ。アメリカを愛しているし国のために戦った。しかし母国の過ちを、なかったことにできなかった。退役軍人は私のことを理解してくれないだろう。私は死の灰の上を歩きこの目で惨状を見たのだ。確かに日本軍は中国や韓国に対してひどいことをした。しかしあの小さな子どもたちが何かしただろうか。戦争に勝つために、本当に彼らの母親を殺す必要があっただろうか。1945年、あの原爆はやはり間違っていた。それは100年たっても間違いであり続ける。絶対に間違っている。絶対に。歴史は繰り返すというが、繰り返してはいけない歴史もあるはずだ。』



オダネルは昨年(2007年)8月、85歳で(原爆病のため)息を引き取った。その日はくしくも長崎原爆と同じ8月9日だった。


オダネル:
『アメリカ人が好むと好まざるとに関わらず、8月6日と9日は毎年やってくる。嫌がらせの手紙や投稿がどんどん集まってくる。「お前は裏切り者だ」「アメリカが嫌なら日本へ行け」と。ある時、娘が教えてくれた。「お父さんの活動に味方する投稿が一つだけあるよ」と。その投稿は私への批判の声に反論してくれていたのだ。

「オダネルに批判する人に言いたい…
原爆とは何だったのか。図書館に行って歴史を勉強してから批判しろ」

名前を見るとそれは私の息子だった。
そして今、息子がその遺志を継いで活動している…』




<コメント>

この一枚の写真は、廃墟の中死んだ弟を背中に背負い、荼毘に付す順番を直立不動で立っている少年の写真です。少年は自身の短い人生の中で最大の悲しみをこらえ、唇を噛み締めて泣くのを耐えていた…

彼のその唇からは血が出ていたという…


この少年の眼ときつく結ばれた唇から、悲しみの深さが伝わってきます。
ひょっとしたら、両親も戦火で亡くなり残されたたった一人の肉親だったのかも知れません…

悲しみを必死にこらえる少年の表情にあなたは何を感じますか。

写真展でこの写真を見たアメリカ人女性は、涙と嗚咽が止まらなかったらしい…


日本人でこの写真を見て何も感じない人がいるだろうか…
幼い人生で最大の悲劇にありながら、この凛とした風格はなんとしたことでしょう。


「わずか六十数年前の日本では、この様に年端もいかぬ少年ですら立派な日本男児であった」ことを感じさせます…



TOPページへ戻る
関連記事
この記事へのコメント
かわいそう。
親は?
2013/06/04(火) 10:10 | URL | 名無し #-[ 編集]
このコメントは管理者の承認待ちです
2016/06/16(木) 18:30 | | #[ 編集]
URL:
Comment:
Pass:   

 | Copyright © どうしよう…  もう日本人やめよっか? All rights reserved. | 

 / Template by パソコン 初心者ガイド
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。