玉砕の島 硫黄島

日本の守護神様、どうか日本を蝕む売国奴議員と特ア3兄弟に天誅を!
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010/05/29(土)

硫黄島


硫黄島って皆さんご存じですか?

大東亜戦争末期に、日本の本土防衛のため世界戦史に残る玉砕戦があった島です。

クリント・イーストウッド監督(76)の大作映画「父親たちの星条旗」や「硫黄島からの手紙」の舞台となったことでも有名です。


硫黄島の戦いは1945年2月16日 - 1945年3月26日)は、太平洋戦争(大東亜戦争)末期に小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間に生じた戦闘です。


日本軍は、20,933名の守備兵力のうち20,129名までが戦死。

一方のアメリカ軍は、戦死 6,821名、戦傷20,1865名。

大東亜戦争後期のの戦闘において、アメリカ軍地上部隊の損害(戦死・戦傷者数等の合計)実数が、日本軍を上回った壮絶な戦いがあった島でもあります。


今もなお、1万名以上の日本兵の遺骨が眠っておられます。

*
<以下、引用>

硫黄島は東京都の南約1200キロにある太平洋上の島。

現在、海上自衛隊の航空基地があり、約350人の自衛官が常駐しているが、一般人の立ち入りができないためなじみは薄く、同島を巡るすさまじい攻防戦も一般には注目されてこなかった。


東西約8キロ、南北約4キロの小さな島を舞台に、昭和20年2月16日から3月26日まで日本軍と米軍の間ですさまじい戦闘が行われた。


太平洋戦争後期の島々を巡る戦いの中でも、米軍地上部隊の損害が日本軍のそれを上回る有数の激戦地となった。


米軍の戦死者は約6800人、戦傷者は約2万1900人で合わせて約2万8700人。


対する日本軍の戦死者は約2万100人、生き残ったのは捕虜になった約1000人。


米軍の戦死者は全員収容されたが、日本軍将兵の遺骨で回収されたのはこれまでに約8500柱。


毎年収集作業が行われているが、今のペースでは作業終了までにあと200年はかかるといわれる。


多数の遺骨がまだ回収されていない最大の理由は、砲爆撃などで地形が変化したり、戦闘で坑道の入り口が塞がれたことに加え、火山性の島で坑道内が60度にもなり、ガスが発生している場所もあることだ。


しかし、この坑道があればこそ、米軍が5日で陥落させられるとみていたのに反して、日本軍は1カ月以上も持ちこたえた。


当時一般的だった海岸線で敵を迎え撃つ作戦を変更し、全長18キロにも及ぶ坑道を構築させたのは指揮官の栗林忠道中将だ。

「現代の作戦から見ても合理的な戦術だ」と自衛隊高級幹部はいう。

映画「硫黄島-」のなかで、栗林中将は最後の攻撃の直前、将兵を前に、後世の日本国民は自分たちが硫黄島で戦ったことを必ず思いだしてくれる、という内容の訓示をする。


米国人の作った映画のこのセリフにあるように、まだ硫黄島の地下に眠る英霊に対する慰霊の心を持ち続けることことこそ、最良の供養になるのではないだろうか。(以上)


硫黄島には未だ多くの遺骨が眠っており、全島が戦死した日本兵の墓地のような状態。

現在、硫黄島には自衛隊員と海上保安庁の職員が駐留していますが、遺族の訪問や遺骨収集のような特別な場合でもなければ、一般人の訪問は原則として許可されていないようです。

しかし、仮にそういった訪問制限がなかったとしても、決して一般人が遊び半分で行って良い所ではないでしょうね。日本を守るために亡くなられた、今なお眠る1万名以上の英霊殿に怒られそうです…


硫黄島とはその字のごとく、島全体に硫黄が噴き出す島だそうで、戦時中に掘られた地下壕内の温度は、摂氏50度に達するところもあったそうです。

     擂鉢山に立てられた星条旗。当時の硫黄島の戦いを象徴有名な写真


なぜ日本軍は、玉砕までして戦ったのでしょうか。


硫黄島の戦いのあった前年(1944年)夏、アメリカ軍はサイパン島を日本軍から奪取し 11月からB-29による日本本土への長距離爆撃を開始しました。

硫黄島は、サイパンと日本本土のちょうど中間地点にあります。

日本本土空爆に向かうB-29を見張り、無線で報告する早期警戒システムの索敵拠点として重要な場所でした。

硫黄島の基地からの連絡で、日本軍は戦闘機をB-29の迎撃に向かわせることができた。

加えて、日本軍の爆撃機飛龍や銀河が硫黄島を経由してマリアナ諸島にあるB-29の基地を急襲し、地上のB-29に損害を与えてもいた。

グアム、サイパンからの出撃では距離の関係上、米軍は護衛戦闘機を随伴させることができない。

さらに日本上空で損傷を受けたり故障したB-29がマリアナ諸島までたどり着けず海上に不時着することも多かったようです。

アメリカ統合作戦本部は、

1 日本軍航空機の攻撃基地の撃滅
2 日本軍の早期警報システムの破壊
3 硫黄島を避けることによる爆撃機の航法上のロスの解消
4 損傷爆撃機の中間着陸場の確保
5 長距離護衛戦闘機の基地の確保


等を目的として、硫黄島の占領を決定します。

日本からすると、硫黄島はどうしても死守せねばならない。
米軍に占拠されれば、本土への空爆を容易にしてしまう…

しかし、敗色濃厚となりすでに制空権、制海権を奪われた日本軍にとって、硫黄島への補給は困難を極めた。

硫黄島が長く持ちこたえることができないことは明白だった。

この戦いは、はじめから勝利を望めない戦いではなかったのか…

しかし硫黄島守備隊は、米上陸部隊にできるだけ大きな対価を支払わせ、日本本土への進攻を1日でも遅らせる決意をしていた。

1日でも多く硫黄島を守り抜けば、それだけ日本本土にいる多くの人々が戦火を逃れ疎開できる。

1日でも多くの日を稼げば、多くの日本人が、1つでも多くの防空壕を作ることができる。

すこしでも深く防空壕を掘ることができる。


そのための石杖となろう。

その決意と覚悟で、2万人の硫黄島守備隊は決死の戦いに臨んだ。

硫黄島を奪われたあとの日本本土へのB-29による空襲爆撃では、東京だけでも死者83,793人、負傷者40,918人、被災者1,008,005人、被災家屋268,358戸(警察庁調べ)の被害を出している。

東京大空襲による死者、負傷者の数が被災者数に対して少ないのは、硫黄島守備隊が約1か月半にわたる長く苦しい戦いを戦い抜いてくれたおかげでしょう。

硫黄島守備隊が戦ってくれたおかげで、それだけ多くの人が疎開や、防空壕の政策・強化を行うことができたということです。

もし、疎開がまだ十分に進まない状況下で本土空襲が始まっていたら、もっと多くの民間人が亡くなったはずです。

おそらく東京だけでも100万人以上の死者が出たのではないでしょうか。


実際に犠牲者が多かったら、今生きている子孫は大多数が存在しなかったのでは…

私たち今を生きる日本人は、戦争で戦って散って逝かれた方々に感謝せねばならないと思います。


我々子孫を生かすために、自らの命を賭して戦われたのですから!


   

TOPページへ



関連記事
この記事へのコメント
URL:
Comment:
Pass:   

 | Copyright © どうしよう…  もう日本人やめよっか? All rights reserved. | 

 / Template by パソコン 初心者ガイド
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。