【親日国 パラオ】 日本の人がこの国に来てくれて嬉しい!

日本の守護神様、どうか日本を蝕む売国奴議員と特ア3兄弟に天誅を!
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2011/07/08(金)


palau_3d.jpg


南国の島パラオに、ペリリューという小さな島がある。
南北9キロ・東西3キロ・高さ80メートル・全体で20平方キロの珊瑚礁の小島である。

ペリリュー島は、大東亜戦争末期にアメリカ軍と戦い、日本軍が玉砕した島です。アメリカ軍との戦いは熾烈を極め、日本軍は壮絶な玉砕戦の末、ほとんどの日本兵が亡くなられました。。

パラオでの日本兵戦死者数は 10,695名。
パラオを守るため戦い、そして祖国「日本」を思い、無念にも亡くなられていったのです。


ブログ「ねずきちのひとりごと」さんより、素晴らしい記事をコピペさせていただきます。

ねずきちのひとりごと ⇒ ねずきちのひとりごと「日本人がこの国に来てくれて嬉しい!」



*
<これより引用>

以下は、読者のNさんからいただいたメールです。
是非、みなさんにもご紹介したいと思います。

まずは、原文をそのままご紹介します。

~~~~~~~~~~~
最近あまりいい話がないと思いますので溜飲をさげる意味ということで、私がパラオ共和国に行ったときのお話しをしようと思います。

今から3年ほど前に新婚旅行でパラオ共和国に行ってきました。
12月の中旬に成田からグァムへ行き、そこから乗り換えてパラオに着いたときは夜の8時過ぎでした。
空港から出てバスに乗るとパラオの国旗の隣に日の丸が掲げられていました。

日中、観光でバスに揺られながらあちこちを廻ると、島と島を繋ぐ道路に必ず日の丸が刻まれたモニュメントがありました。
それらを見る限り日本のODAが如何に正しく使われているかがよくわかります。
街のあちらこちらにも日の丸が掲げられていました。

夜家内と外に食事をしましたが、いまいち食べ足りないと思い、散歩だてらに中心街を散策していると(中心街と言っても500mくらいのメインストリート)広い駐車場にハンバーガーの屋台があったので、早速注文をしてできたてのバーガーを家内とほうばりながら食べていると、さっきまで駐車場でギターの弾き語りをしていた初老の老人が近づいてきて

「君たちは日本人か?」
と聞かれたので、イエスと答え新婚旅行で来たと家内が伝えると、老人は大粒の涙を流しながら私の肩を抱きました。

そのとき老人が言ったことは家内が言うに

「日本の人がこの国に来てくれて本当に嬉しい。ハネムーンの行き先にここを選んでくれて本当にありがとう」と言ってくれたそうです。

この出来事でパラオの人々が如何に日本の人たちに対して特別なものを持っているかよくわかりました。

私たちの血税がこういう風に役に立っているということを実感するためだけでもパラオには来る価値が十分すぎるほどあります。
子供が大きくなったら後学のためにももう一度パラオに行こうと細々と貯金をしています。
~~~~~~~~~~~

このメールと一緒に、Nさんが、下の2枚の写真を送って下さいました。


海に沈むゼロ戦
20110613191135564.jpg

旧日本軍のトロッコ跡
20110613191207414.jpg


大東亜戦争で戦ったゼロ戦です。
忘れてはならないのは、このゼロ戦に、日本海軍の優秀なパイロットが乗っていた、ということです。
そのパイロットの命とともに、ここにゼロ戦が眠っている。

もうひとつのトロッコ跡は、ここで日本の軍人さんたちが、銅などの採掘していたときのものです。

戦前まで、パラオは日本だったのです。

いや、「日本だった」と書くと、正確さを欠くかもしれません。
正確には、パラオは、日本の「委任統治領」だった。

「委任統治領」というのは、当時あった「国際連盟」によって国際連盟規約第22条に基づいて、国際連盟の指定を受けた国が、一定の非独立地域を統治する制度です。

この制度は通常、白人諸国が有色人種諸国を統治する、というより植民地として収奪するのにもちいられた制度です。

もともとのパラオが、白人の植民地となったのは、明治18(1885)年のことです。
このとき植民地支配したのがスペインです。

スペインの統治は過酷で、明治32(1899)年に、ドイツの植民地になるまでのわずか14年ほどの間に、パラオの人口は、約90%が失われています。

そして、もうこれ以上収奪するものがない、となったとき、スペインはわずか450万ドルで、パラオを含むミクロネシアの島々をドイツに売却します。

ドイツは、パラオの原住民を使い、ココナッツの栽培などをするけれど、現地人に対する教育や道路、流通の整備、産業の育成や法や行政諸制度の整備などは、まったく行っていません。

そしてドイツが、第一次世界大戦で負けた後、パリ講和会議において、国際連盟の結成とともに、パラオを含むミクロネシア地方一帯が、日本の委任統治領となったのです。

このパリ講和会議では、日本の牧野全権が、人種の平等を主張して、米英と激しく対立しています。

統治の委任を受けた日本は、さっそくパラオに南洋庁をおき、パラオに学校や病院、道路などを建設し、街のインフラの整備を図ります。

パラオの学校には、若き日の中島敦も赴任し、現地人のための教科書作りを行っています。

この頃の日本の領土は、たいへんに広いものだったのだけれど、そんななかで、パラオの子供たちは、日本本土を含む全日本共通テストで、なんと第二位を獲得しています。
子供たちも、たいへんに優秀だったのです。

ところで、教育を受けるための学校、あるいは医療を受けるための総合病院、あるいは車も走れる道路などは、いったいどのようにして造るのでしょうか。

まったくそういうものに、これまでずっと接していなかった現地の人たちに、いきなり「道路を作れ」と言われても、できる相談ではありません。
このことは、いまこれをお読みの、あなたが、(建設業関係のお仕事ではない人であるという前提で)、いきなり第二東京タワーを作れ、といわれるに等しい。

では、どうやって造るか。

日本は、日本の歳費を用いて、パラオに土木建築業者や教師、行政官吏を派遣したのです。
「やってみて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」です。

まずは日本人が、やってみせてお手本を示す。
そして、現地の人にも、すこしずつやってみてもらう。
そのうえで、成果があがったら、ともに喜びをわかちあう。

当時、パラオにいた先住民は、わずか6500人足らずです。

そこに日本は、なんと2万5千人もの人を派遣している。
そしてあらゆるインフラを整備したけれど、それはことごとく、日本の国費で賄われています。


日本統治時代のコロールの街並み
20110613194929786.jpg


パラオは、日本の植民地だった、という人がいます。
このどこがいったい植民地なのでしょうか。

~~~~~~~~~~~~
パラオ共和国では日本統治時代に使用されていた機具などは、すべてパラオ共和国の財産として手付かずのまま放置されています。
(メインストリートの外れに灯篭のような石細工がありましたが、いつできたものかわかりませんでした。)

台湾が投資している農業研究所でも、当時使用されていた機具が錆びついてはいましたが、そのままの形で残っていました。
(そこでは建物の中に台湾の国旗が飾られていました)
~~~~~~~~~~~~

↑は、パラオに行かれたNさんの言葉です。

大東亜戦争で、日本は、パラオを守るために戦い、1万1000名が玉砕しました。


このときのお話は、

≪パラオ・ペリリュー島の戦い≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1074.html

≪アンガウルの戦いと人種差別≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-890.html

≪ランボーは日本人だった!・・・舩坂弘軍曹物語≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-708.html

で、詳しくご紹介しています。


戦後、パラオは、米国の信託統治下に置かれます。

けれど、米国はパラオで、産業開発らしいことは一切行わなかった。
いろいろな出来ごとのあと、ようやくパラオが晴れて独立国となったのは、昭和56(1981)年のことです。

その独立国パラオの国旗が↓です。

パラオ共和国国旗
20090609092756aed.gif


この国旗は、日本の国旗をモチーフにし、円が中央からすこしずれているのは、日本にちょっぴり遠慮したからなのだそうです。

戦後の政治、戦後の教育、戦後のメディアが、いかに戦前の日本を貶めても、現地の人々には、当時の日本の仁政が、ちゃんとわかっている。

昨年に引き続き、今年も日心会では、南洋交流協会さんが主宰するパラオ慰霊ならびに独立記念祭への参加のツアーに行ってきます。

どうなんでしょう。
もし、いまこれを読んでいるあなたが、仮に、政府の委託を受けて、南の島に赴任したとして、あなたはそこで収奪や略奪、殺人、暴行、強姦をしますか?

それとも、現地の人々の暮らしや教育のために、自分のもっている知識や経験を少しでも生かそうとしますか?

戦前の日本というのは、大家族主義です。
ひとりひとりの日本人は、全員が、たとえ外地とはいえ非道な振舞いをすれば、それは「家族の恥さらし」であり、「親戚一同の恥さらし」であり、「村の恥さらし」と、生涯、言われ続けなければならなかったという環境にあります。

そんななかで、親兄弟の顔を思い浮かべて、あなたは非道な振舞いができるでしょうか。
日本人なら、それは決してできないことです。

そして人の役に立つことをすると、うれしいと思う心は、いまの日本人も戦前の日本人も同じです。

そうやって、現地の人々のために、一生懸命汗を流し、そこを守るために、命を亡くされた方々が、英霊です。

その英霊たちは、まぎれもなく、わたしたちと血のつながった、若かりし日の祖父たちです。

その祖父たちを貶めることこそが、侵略行為であり、恥さらしな行為であり、それこそが日本の恥であり、世界の恥である。
ボクはそう思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

<引用ここまで>


<コメント>

ねずきちさんのブログは素晴らしい記事が多い!ぜひ皆さんもお邪魔してみてください。


以前から思ってますが、私も機会があればパラオへ日本人としてお参りに行きたい。


ペリリュー神社の境内には、太平洋艦隊総司令官のチェスター・ニミッツの作として、文字列が彫られた石碑(1994年に建立)がある。

「諸国から訪れる旅人たちよ
この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い
そして玉砕したかを伝えられよ 
                  太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ」


ウィキペディアより
“右の掲示板には、戦闘の経過が要約され、米国公刊戦史に載っているとして、次の詩的な一文で結ばれています。「この島を訪れる旅人たちよ。あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を・・・・・・」”

名越はこの詩文のオリジナルである英文を探そうと、他の人に頼み、ついに元航空幕僚長浦茂が1984年に渡米し、ニミッツの資料を求めてアナポリス海軍兵学校を訪れた時、教官からニミッツの詩として伝えられたものとして、英文を提示した。



この碑文は何度読んでも目頭が熱くなります。パラオの美しい海で眠っておられる英霊様のご冥福をお祈りします。



パラオとの歴史は動画で覚えてくださいね。そしてパラオを訪問される機会があれば、亡くなられた英霊の方々への御供養をお願いします。










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この記事へのコメント
ブログへのコメント失礼させて頂きます。

私の祖父は日本兵としてパラオで亡くなりました。

シュノーケルが好きな私にとっても魅力的な国パラオ。

ただ未だ訪れた事がありません。
会った事も写真すらちゃんと見た事もない祖父ですが、そこが祖父の戦地だったと思うと、怖く複雑な思いになってしまいます。

だけど何時かは訪れたいと思っていました。

ブログを読ませて頂いてまたそう思いました。

私も遠くないいつか、祖父のお参りと、その美しい海を大切な人と訪れたいと思いました。
2011/08/05(金) 23:30 | URL | ハチ #-[ 編集]
> ハチ様
> コメントありがとうございます。
>
> ハチ様のおじい様は、パラオの地で亡くなられたのですか・・・
> パラオへの訪問が実現されるならば、おじい様の御供養まで実現されるといいですね。
>
> 本日は広島原爆の日。
> サイレンを聞きながら黙とうしてまいりました。
2011/08/06(土) 09:47 | URL | ムキンポ #-[ 編集]
いいことをすれば認めてもらえる
認められればもっといいことをしたくなる

感謝は感謝を呼ぶ
それは強い力となって、結びつきになる

パラオと日本、永久に、愛を
2012/07/02(月) 07:17 | URL | 三世 #-[ 編集]
今度行ってみたいですパラオに
2012/09/11(火) 22:28 | URL | クリスピー #-[ 編集]
激戦地の一つとは知っていましたが、ニミッツ提督の碑文が有ること、初めて知りました。智将であり騎士道精神を見た思いです。是非とも英霊の鎮魂に伺いたい…そして守り続けていただいてる、現地の方に感謝の思いを届けたい。
2012/10/08(月) 01:02 | URL | 元自衛官G742922 #-[ 編集]
このコメントは管理者の承認待ちです
2013/08/07(水) 11:55 | | #[ 編集]
このコメントは管理者の承認待ちです
2013/11/11(月) 11:21 | | #[ 編集]
このコメントは管理者の承認待ちです
2014/08/18(月) 00:25 | | #[ 編集]
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