【日本軍の話】 日本軍悲しい話コピペ編

日本の守護神様、どうか日本を蝕む売国奴議員と特ア3兄弟に天誅を!
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2011/02/18(金)


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元グルカ兵(ネパール人)の証言

我々は世界最強の傭兵だ。
第二次大戦で英軍の傭兵の時、マレー軍を3時間で撃破した。
インド軍は1日で降参させた。

だが、日本の正規軍との戦いは過酷で一週間不眠不休で戦わされ、我々も半数以上が戦死した。これだけの死闘は初めてで、勇敢な敵軍を尊敬したのはこの時だけだった。

玉砕した日本軍の所に行ってさらに驚いた。日本軍は貧弱な武器なうえ食料も、わずかな米しかなく、日本軍の死体はみんなやせ細っていた。

戦友が死んだ時には泣かなかったが、敵である死んだ日本人を見て皆泣いた。



*

停戦の訳
72. 名前:ゴンベイさん 投稿日: 2010年04月06日 00:18 ID: 6gnzeGsh0

インドで傭兵としてパキスタン軍と対峙してた時、遠くから歌が聞こえてきた。
知らない言葉の歌だったが味方じゃないことは確かなので銃をそちらに向けたとき、上官に殴り飛ばされた。

何がなんだかわからなかったが不思議なことに、パキスタン側でも銃声がやんでいた。歌声の主は数人の年寄りで、われわれに気づかないのか旗を持って一列で歩いてきていた。

われわれ側もパキスタン側もその数人のお年寄りが通り過ぎて見えたくなるまで一発の銃弾も発射しなかった。結局その日から2日間は戦闘は再開されなかった。

停戦命令も出ていないのにどうして戦闘がやんだのかわからずに、上官に聞きに言った。その年寄りたちが歌っていたのは日本の軍歌で持っていた旗は日の丸だということを聞いた。
その話を聞いてその夜は泣いた。
ものすごく泣いた。

その年寄りたちは第二次世界大戦で死んだ戦友を弔いに来ていたのだと知った。
こんな危険地帯なのに、第二次世界大戦から何年もたっているのに、戦友を弔うためにこんなところまで来てくれる人たちがいることに涙が出た。

あとから知ったが、パキスタン側もそれが日本人でかつてインド(パキスタン)独立のためにイギリス軍と戦った人たちだと知って敬意を表して戦闘を中断したそうだ。

この半年後、傭兵を辞めて日本に留学した。
たくさん勉強して日本語の読み書きも覚えた。
何年もたって日本のお酒が飲めるようになって、サクラを見ながら飲んでいたとき、サクラの花びらがコップに入った。

それを見て急に涙が出てきた。
あの年寄りたちのことを思いだした。
日本人が本当にうらやましい。




人間機雷の体験語る 元特攻隊員の鈴木さん
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20100816/CK2010081602000136.html

元特攻隊員の鈴木道郎さん(80)=多治見市平野町=による講演会「人間機雷、伏竜特別攻撃隊を語る」が終戦記念日の15日、多治見市の養生公民館であり、地元住民ら約50人が貴重な戦争体験に耳を傾けた。

鈴木さんは1945(昭和20)年1月、14歳で海軍飛行予科練習生になった。特攻隊員に志願、機雷とともに米軍の上陸用船艇に体当たりする伏竜特攻隊の一員として過酷な訓練に明け暮れた。

粗悪な装備が原因で戦友たちが命を落としていく中、鈴木さんは「国と家族を守りたい一念で生き抜いた」と強調。8月15日、上官に終戦を告げられた際には「やっとお母さんに会えると思ってうれしくなった」と当時の心境を語った。

愛知県刈谷市から訪れた丹羽千佳子さん(68)は「家族や国のために命をなげうった人が大勢いたことを、決して忘れてはいけない」と話していた。

(谷口大河)




祖父は戦争の話が嫌いでした
440 名前:名無し三等兵[sage]投稿日:2005/11/16(水) 14:29:34 ID:???

私の祖父は戦争の話が嫌いでした。
私がほたるの墓や、ビルマの竪琴を読んでいるのを見つけると、悲しそうな顔で私に、「知らない事が幸せなのに」と呟いていました。

去年の今ごろに祖父は亡くなったのですが、その一ヶ月ほど前に、一度だけ戦争の話をしてくれました。

祖父は、終戦の日まで、国に何も恩を返すことができなかったこと。
特攻隊として志願したが、上官に泣きながら殴られたこと。
戦争が終わったと知ったその日、戦友に切腹の介錯を頼んだが、当日その戦友が拳銃で自殺したこと。

血に染まった壁に、
「○○(祖父の名前)、お前が来たら追い返せるよう、先にゆく」
と書いてあったこと。

めったに泣かない祖父が、チョコを食べながら聞いていた私を見てぽろぽろ泣いて、「そいつを少しでもあいつらにわけられたらなぁ、上官に差し上げることができたらなぁ」と、蚊の鳴くような声で、何度も何度も繰り返していました。

祖父は優しい軍人さんだったのでしょうか。
今は上官に、戦友さんに、お菓子を振舞っているのでしょうか。

だったらいいなぁ、と思います。




日本に連れ帰って下さい

先日ミュンヘンで日本からの教育視察団の仕事をしまして、その時の男性の添乗員から南の島へ遺骨収集団の添乗をした時の話を聞きました。

ホテルに宿泊した時、日本兵が、背嚢と銃を持ち行進している列に出会い、その列から1人の兵士が彼のところに来て、「お願いですから、私を日本に連れ帰って下さい、お願いですから」と、彼の足に両手をさし伸ばしてきて触わられて、朝方目が覚めたそうです。

あまりにもリアルで、足に触られた感覚もあり、夢だったのか現実に起きた出来事だったのか、しばらく判断がつかなかったそうです。

英霊がいまだ南の島で行進している、霊が通る路がある事を聞いた事が以前も有りました。

望郷の思いは、外国に住んでいますと、痛いほどよく分かりますが、多くの日本に帰れない英霊の思いを想像し、現状の日本を考えますと2重に胸が塞がります。

GHQ焚書図書を取り戻し、日本人が日本や世界の歴史、欧米 400年の植民地侵略の歴史を正確に学ぶ必要性を強く感じます。日本を代表する政治家、閣僚全員が、靖国参拝する時代が早く来る事を、戦闘的楽観主義で祈り念じます。

永冶ベックマン啓子(ミュンヘン在住)




母親(東京大空襲)

昭和二十年三月十日の(東京)大空襲から三日目か四日目であったか、私の脳裏に鮮明に残っている一つの情景がある。

永代橋から深川木場方面の死体取り片付け作業に従事していた私は、無数とも思われる程の遺体に慣れて、一遺体ごとに手を合わせるものの、初めに感じていた異臭にも、焼けただれた皮膚の無惨さにも、さして驚くこともなくなっていた。

午後も夕方近く、路地と見られる所で発見した遺体の異様な姿態に不審を覚えた。

頭髪が焼けこげ、着物が焼けて火傷の皮膚があらわなことはいずれとも変りはなかったが、倒壊物の下敷きになった方の他はうつ伏せか、横かがみ、仰向きがすべてであったのに、その遺体のみは地面に顔をつけてうずくまっていた。

着衣から女性と見分けられたが、なぜこうした形で死んだのか。


その人は赤ちゃんを抱えていた。
さらに、その下には大きな穴が掘られていた。


母と思われる人の十本の指には血と泥がこびりつき、つめは一つもなかった。

どこからか来て、もはやと覚悟して、指で固い地面を掘り赤ちゃんを入れ、その上におおいかぶさって火を防ぎ、わが子の生命を守ろうとしたのであろう。


赤ちゃんの着物はすこしも焼けていなかった。
小さなかわいいきれいな両手が母の乳房の一つをつかんでいた。
だが、煙のためかその赤ちゃんもすでに息をしていなかった。

わたしの周囲には十人余りの友人がいたが、だれも無言であった。
どの顔も涙で汚れゆがんでいた。


一人がそっとその場をはなれ、地面にはう破裂した水道管からチョロチョロこぼれるような水で手ぬぐいをぬらしてきて、母親の黒ずんだ顔を丁寧にふいた。

若い顔がそこに現れた。
ひどい火傷を負いながらも、息の出来ない煙に巻かれながらも、苦痛の表情は見られなかった。

これは、いったいなぜだろう。美しい顔であった。
人間の愛を表現する顔であったのか。


だれかがいった。

「花があったらなあ――」

あたりは、はるか彼方まで焼け野原が続いていた。
私たちは、数え十九才の学徒兵であった。




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この記事へのコメント
大東亜戦争とは、本来は植民地化され奴隷となっていたアジア全体を欧米の魔の手から守るべく大東亜共栄圏という共同体を作り、皆で協力し合い欧米各国に負けない勢力を作るという崇高な志の下で行われた解放戦争である。

確かに、一部の陸軍が暴走したせいで反日勢力が生まれたのも事実だが、その反面でインフラ整備や教育、軍隊の創設及び訓練指導などを行い、アジアの独立のために尽力を尽くしたのもまた事実である。

その証拠に、日本は惜しくも欧米に負けたが、その後アジア各国は蜂起し自らの力で欧米人を自分たちの土地から排除し、見事独立を果たした。

結果的に、日本は戦争には負けたが、アジアの解放という戦争の目的という意味では、勝利したと言えるだろう。
2011/03/08(火) 20:12 | URL | 通りすがりの名無しさ #-[ 編集]
涙腺が壊れました。
2012/11/16(金) 14:39 | URL | 日本兵の孫 #-[ 編集]
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2013/11/28(木) 00:25 | | #[ 編集]
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2013/12/06(金) 20:51 | | #[ 編集]
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2015/09/12(土) 14:52 | | #[ 編集]
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2016/05/11(水) 22:33 | | #[ 編集]
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2016/05/14(土) 00:23 | | #[ 編集]
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2016/05/14(土) 00:45 | | #[ 編集]
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2016/05/14(土) 06:00 | | #[ 編集]
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2016/11/19(土) 22:23 | | #[ 編集]
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