日本を心から愛していた1   by台湾

日本の守護神様、どうか日本を蝕む売国奴議員と特ア3兄弟に天誅を!
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010/06/09(水)

台湾 国旗


【台湾の皆さま、東日本大震災への

多大なるご支援、心より感謝申し上げます。】



今からさかのぼること114年ほど前の話…


日本は日清戦争に勝利し、1896年3月31日に台湾は日本の文民行政下に置かれたました。


日本は新領土である台湾を素晴らしい島にしようと計画し、日本以上のものを台湾に作ろうとしたのではないでしょうか…


当時の台湾総督府は、「百年計画」という都市計画に則って台湾の産業や生活の基礎を築いていきました。


それがどれほど優れているものだったかという証拠に、現在の台湾の都市計画は日本時代の都市計画に基づいているのです。


日本軍は教育にも力を入れていて、新しい土地に行くと必ず学校を作りました。


台湾にも大学から中学校(現在の中学と高等学校を合わせたものに相当)、小学校、幼稚園まで作りました。


しかも、当時の日本の建造物よりも立派な建物だったようです(笑)。


台湾ほど『親愛の情』で日本人を迎えてくれる国はないのでは…?、と思えるほどですよ。


日本をよく知る人びとが健在で、現代の日本と日本人を日本の歴史とともに受け入れ、日本の台湾への貢献を日本人自身よりも高く評価して下さってるようです。

*
金美齢


皆さんは上の画像の女性はご存じでしょうか?

「TVタックル」や「そこまで言って委員会」のテレビを見てらっしゃる方は、良くご存じでしょう。
なんともカッコいい人物です。

金 美齢さん  評論家  1934年2 月7日(76歳)

台北出身、日本統治下の台湾で育ち、日本敗戦後国民党による台湾人弾圧時代を経験し、日本に留学してから台湾民主化運動に参加する。このため30年間以上も台湾の土を踏むことができず、両親の葬儀にも参列できなかった。台湾の民主化が進んだ後、台湾総統府国策顧問に任命(2000年-2006年)されるなど、台湾そして日本への強い影響力をもつようになる。テレビ、書籍、講演などで見る筋金入りの"闘士""戦士"としての姿、そこには実体験から生まれた確かな主張がある。その凛とした生き方は多くの人に勇気と元気を与えている。<金美齢HPより>



私はこの金美齢さんが大好きです!(笑)

この方の『日本を思う気持ち』に凄く心を打たれました…
たしか最近は、日本国籍まで取得し日本へ帰化されたそうです。

櫻井よしこさんと並ぶ『愛国の志』であります!
ずっと応援していきますよ!



話が横道にそれましたが、当時の日本領を経験された台湾人の方の出版物から、一部転載させて頂きます。

日本統治時代の素晴らしさを綴ってあります。
誇り高き日本兵、台湾の生徒を愛した先生、中国領になってからの悲惨な体験など、すごく参考になりました。


<以下、引用~>

『日本人はとても素敵だった』 楊 素秋著


第二章 日本統治時代
古き良き日本時代

私は昭和七年九月、台湾南部の都市、台南市で生まれました。
日本の台湾統治が始まって三十八年目のことでした。

ちょうど一年前の昭和六年九月には、満州事変が起こっており、翌年三月には「満州国」が建国されました。

同年十月に国際連盟が満州国を否定すると、連盟の創立国であり常任理事国でもあった日本は、国際連盟を脱退し日本を取り巻く国際情勢が騒然としてきた頃のことでした。

小鳥が生まれて初めて見たものをお母さんだと思うように、私も日本を母国と感じていました。

もちろん、子供時代は自分のことを日本人だと信じて疑っていませんでした。
名前も、昭和十五年の改姓名によって楊素秋から弘山喜美子という日本名をもっていました。

本章では日本統治時代のことを述べていきますが、ひと言で言うと『日本時代は私にとってパラダイスでした』。


良いことだらけで何から話してよいか分からない、と言って信じてもらえるでしょうか。


私が生まれた台南は、昔、都が置かれお城があった名残から、「府城」と呼ばれていました。

中でも「台南府城」の出身というと、台南の中でも城壁に囲まれた中心街の出身ということを表し、ここの出身者はプライドがありました。

私は、その「台南府城」の出身です。

台北が東京に喩えられるのに対して、台南はよく京都に喩えられます。
台南の人々はエレガントで言葉が優雅なのです。

もっとも、完璧主義でこだわりがあるのが欠点で、一般には台南出身者はケチで堅苦しくてうるさいという風に言われてもいます。


日本時代の台湾は、町全体が豊かで、特に台南はゆったりと時間が流れているようでした。

よく町の孔子廟では、詩人や文人が詩を作ってお互いに交換しあって楽しんでいました。

非常に安定した社会で、隣近所とは互いに信頼し合い、相互の信頼関係、人と人との絆が素晴らしかったのです。

ですから、どこに行っても安心出来ました。
それこそ枕を高くして寝ることが出来る世の中でした。

一方、今はどうでしょう。

外を歩いていて何か話しかけてくる人があると、警戒心と不信感がまず頭をもたげてしまいます。

また、現在の台湾の町並みを見てもらえば分かりますが、どの家にも鉄格子が付けてあります。

まるで、自分で作った牢屋に自分で住んでいるかのようです。
私の家もマンションの玄関のドアが二重にしてあり、窓には鉄格子がしてあります。

それでも、空き巣に綺麗に洗いざらい盗られたことがありました。
私は鉄格子の無い家に住みたいとつくづく思うのです。

鉄格子の無い家で、戸締まりをしなくても安心して眠ることが出来た日本時代に戻りたいのです。

道端で品物を拾っても、決して自分のものにすることのない時代にしたいのです。

日本時代は、人民は政府を信頼していました。
そして、それに応えるかのように政府も人民の生活を良くしてあげたいという気持ちを表していました。

また、兵隊さんも、先生方も、お巡りさんも良くしてくれ、町中至る所にいい雰囲気が溢れていました。

もしもタイムマシンで元に戻れるのなら、もう一度日本時代に戻りたいのです。

あの平和で穏やかな時代に…。



日本統治の功績

台湾には濁水渓という大きな川があります。
この川は、濁った水と清水とが右左に分かれて流れ、どんなに嵐が来ても大水が来ても決して混ざり合わないのです。

昔、老人たちはよく言っていたものです。
濁水渓の水が澄んだら天下泰平になる、…と。

そして、その濁水渓の水が、日本軍が台湾を接収しに上陸した時、五日間だけ綺麗になったと伝えられていました。

五日間澄んだので、人々は日本の統治はきっと五十年だろうと噂していました。

日清戦争に勝利し清国から台湾を接収した日本は、新領土である台湾を素晴らしい島と思い、日本と同じ、いや、それ以上のものを台湾に作ろうとしたように思えます。

台湾総督府は、「百年計画」という都市計画に則って台湾の産業や生活の基礎を築いていきました。

それがどれほど優れているものだったかという証拠に、現在の台湾の都市計画は、日本時代の都市計画に基づいているのです。

台北を走るMRT(地下鉄)や、上下水道、台湾の南北を繋ぐ縦貫鉄道や縦貫道路、等々全てです。

それらの中には戦後に台湾に来た中国人が作ったと言われているものもありますが、それは間違いです。

全部日本人が設計して作ったものです。
鉄道の台南駅、新竹駅、台中駅、高雄駅などはどれも芸術的にも優れています。

高雄駅などはまるでお城のように立派に建てられ、あまりに素晴らしいので、狭くなって建て替えた時も、壊すにはもったいなくて、下から掘り起こして移築したほどでした。

また、日本人は教育にも力を入れていて、新しい土地に行くと必ず学校を作りました。

台湾でも大学から中学校(現在の中学と高等学校を合わせたものに相当)、小学校、幼稚園まで作り、しかも、当時の日本よりも立派な建物でした。台湾大学も東大をモデルに作られています。

台湾から東京の医学専門学校に入る人がいたのですから、どのくらい台湾を立派な国にしようと思っていたかが伺い知れます。

私の考えでは、当時は内地(日本)から人材を派遣することがなかなか難しかったので、ここ台湾で人材を養成して、この国の基礎固めを手助けするという形をとったのではないでしょうか。

あるいは、もっと広大な思想の下に行ったのかもしれません。

更に、素晴らしかった点は、造林に精を出したことです。
木を植える国は発展します。

木を伐ってしまう国は必ず潰れます。

なぜなら、木というのは山の神様だからです。
神様を大切にしなければ国は発展しません。

その点、日本の造林は本当によく出来ていました。
樹齢が何年以上のものはいつ伐採すると、きちんと番号をつけて管理していたのだそうです。

そして、伐採した木の跡にはすぐに苗を植えました。
伐ったら何十年でちょうどこちらの山の木が大きくなっているという具合に山一つを百年計画で伐っていたというのです。

ところが、終戦後、中国人が来てからというもの、ほとんどの木、特に桧を伐採してしまいました。

しかも、彼ら中国人は根っこまで掘り出して屏風にしてしまったのです。
ですから、今では土砂崩れといった災害があちこちで起きていますが、当然の結果と言えるでしょう。

国民党は台湾に来て壊すばかりで何の計画もしませんでした。
それどころか、日本のものといったら神社の鳥居までも全部壊してしまいました。

韓国でも日本は台湾と同様の統治をしたと思いますが、韓国は日本にありがとうと言ったことはないようですね。

良いことをしてもらってどうして感謝しないのでしょうか。
私にはそれが不思議で仕方がありません。


<引用ここまで>




もう少しご紹介したいので次回へ続きます…

TOPページへ

関連記事
この記事へのコメント
URL:
Comment:
Pass:   

 | Copyright © どうしよう…  もう日本人やめよっか? All rights reserved. | 

 / Template by パソコン 初心者ガイド
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。