恩義には恩義で応える国    byトルコ共和国

日本の守護神様、どうか日本を蝕む売国奴議員と特ア3兄弟に天誅を!
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2010/06/08(火)

トルコ共和国 国旗


皆さんはトルコ共和国ってご存知Dすか?
トルコ共和国って、イメージ的にはヨーロッパ(欧州)って感じですよね。


でも、地理的にはイラクやイランに面しており西アジアに属するようです。
人口の99%がイスラム教であり、経済的、政治的にもヨーロッパの一員として扱われることも多く、現在欧州連合 (EU) へ加盟申請中です。

トルコ共和国


日本人からすれば、トルコ共和国との繋がりはとっても薄いような感じがしますが…
実は、トルコ共和国は相当な親日国らしいです。

恥ずかしながら、政治に興味を持つまで私は知りませんでした(汗…)
トルコ国民の皆様、誠に申し訳ありませんでした…


ではなぜトルコ共和国の国民は親日なのでしょうか…

*
トルコと日本…
国境を越えた愛の物語は、今から120年前の実話から始まります。

エルトゥールル号
                  軍艦エルトゥールル号


1890年9月17日、トルコの軍艦エルトゥールル号は樫野崎沖で岩礁にぶつかり沈没しました。

乗船者は650名でしたが、死亡者587名、生存者63名のうち58名が負傷するという大惨事でした。



<以下 転載~>
「TKCビジネスワンポイントニュース」「TKC商工ニュース」2002-11月号「付録資料」から、以下に全文を転載させていただきます。


語り継ぐべき歴史

エルトゥールル号の遭難 -命の光からー



和歌山県の南端に大島がある。その東には灯台がある。
明治3年(1970年)にできた樫野崎灯台。今も断崖の上に立っている。

ビュワーンビュワ-ン、猛烈な風が灯台を打つ。ドドドーンドドドーン、波が激しく断崖を打つ。

台風が大島を襲った。

明治23年9月16日夜のことである。

午後9時ごろ、ドドカーンと、風と波をつんざいて、真っ暗な海の方から音がした。
灯台守(通信技手)ははっきりとその爆発音を聞いた。


「何か大変なことが起きなければよいが」 灯台守は胸騒ぎがした。
しかし、風と岩に打ちつける波の音以外は、もう何も聞こえなかった。

このとき、台風で進退の自由を失った木造軍艦が、灯台の方へ押し流されてきた。
全長76メートルもある船。
しかし、まるで板切れのように、風と波の力でどんどん近づいてくる。

あぶない! 

灯台のある断崖の下は「魔の船甲羅」と呼ばれていて、海面には、岩がにょきにょき出ている。

 グウグウワーン、バリバリ、バリバリバリ。

船は真っ二つに裂けた。

その瞬間、エンジンに水が入り、大爆発が起きた。
この爆発音を灯台守が聞いたのだった。

乗務員は海に放り出され、波にさらわれた。
また、ある者は自ら脱出した。

真っ暗な荒れ狂う海。
どうすることもできない。

波に運ばれるままだった。
そして、岩にたたきつけられた。

一人の水兵が、海に放り出された。
大波にさらわれて、岩にぶつかった。
意識を失い、岩場に打上げられた。

 「息子よ、起きなさい」 懐かしい母が耳元で囁いているようだった。
 「お母さん」という自分の声で意識が戻った。

真っ暗な中で、灯台の光が見えた。
 「あそこへ行けば、人がいるに違いない」


そう思うと、急に力が沸いてきた。
40メートルほどの崖をよじ登り、ようやく灯台にたどり着いたのだった。

灯台守はこの人を見て驚いた。
服がもぎ取られ、ほとんど裸同然だった。

顔から血が流れ、全身は傷だらけ、ところどころ真っ黒にはれあがっていた。
灯台守はこの人が海で遭難したことはすぐわかった。


 「この台風の中、岩にぶち当たって、よく助かったものだ」と感嘆した。

 「あなたの国はどこですか」
 「…………」

言葉が通じなかった。
それで、「万国信号音」を見せて、初めてこの人はトルコ人であることと、船はトルコ軍艦であることを知った。

また、振りで、多くの乗務員が海に投げ出されたことがわかった。

 「この乗務員達を救うには人手がいる」

傷ついた水兵に応急手当をしながら、灯台守はそう考えた。

「樫野の人たちに知らせよう」


灯台からいちばん近い、樫野の村に向かって駆け出した。
電灯もない真っ暗な夜道。

人が一人やっと通れる道。
灯台守は樫野の人たちに急を告げた。

灯台に戻ると、10人ほどのトルコ人がいた。
全員傷だらけだった。
助けを求めて、みんな崖をよじ登ってきたのだった。

この当時、樫野には50軒ばかりの家があった。
船が遭難したとの知らせを聞いた男たちは総出で岩場の海岸に下りた。

だんだん空が白んでくると、海面にはおびただしい船の破片と遺体が見えた。
目をそむけたくなる光景であった。
村の男たちは泣いた。

遠い外国から来て、日本で死んでいく。
男たちは胸が張り裂けそうになった。

 「一人でも多く救ってあげたい」

しかし、大多数は動かなかった。
一人の男が叫ぶ。

 「息があるぞ」

だが触ってみると、ほとんど体温を感じない。
村の男たちは、自分たちも裸になって、乗務員を抱き起こした。

自分たちの体温で彼らを温めはじめた。

 「死ぬな!」 「元気を出せ!」 「生きるんだ!」

村の男たちは、我を忘れて温めていた。
次々に乗務員の意識がもどった。

船に乗っていた600人余り。
そして、助かったのは69名。

この船の名はエルトゥールル号である。

助かった人々は、樫野の小さいお寺と小学校に収容された。
当時は、電気、水道、ガス、電話などはもちろんなかった。

井戸もなく、水は雨水を利用した。
サツマイモやみかんがとれた。

漁をしてとれた魚を、対岸の町、串本で売ってお米に換える貧しい生活だ。
ただ、各家庭では、ニワトリを飼っていて、非常食として備えていた。

このような村落に、69名もの外国人が収容されたのだ。
島の人たちは、生まれてはじめてみる外国人を、どんなことをしても、助けてあげたかった。

だが、どんどん蓄えが無くなっていく。

ついに食料が尽きた。

台風で漁ができなかったからである。

 「もう食べさせてあげるものがない」 「どうしよう」

一人の婦人がいう。

 「ニワトリが残っている」

 「でもこれを食べてしまったら……」
 「お天とうさまが、守ってくださるよ」

女たちはそう語りながら、最後に残ったニワトリを料理して、トルコの人に食べさせた。

こうして、トルコの人たちは、一命を取り留めたのであった。
また、大島の人たちは、遺体を引き上げて、丁寧に葬った。

このエルトゥールル号の遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、そして、明治天皇に言上された。

明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。
さらに礼を尽くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、トルコに送還なされた。

このことは、日本中に大きな衝撃を与えた。
日本全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられた。


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            神戸救護病院にて手当てを受けた乗組員達
 

次のような後日物語がある。


イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。

イラクのサダム・フセィンが

 「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」

と無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。

日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。

その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。
しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。

世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。
日本政府は素早い決定ができなかった。

空港にいた日本人はパニック状態になっていた。

そこに、2機の飛行機が到着した。
トルコ航空の飛行機であった。

日本人216名を乗せて、成田に向けて飛び立った。
タイムリミットの1時間15分前であった。

なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。


前・駐日大使、ネジアテイ・ウトカン氏は次のように語られた。


「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。

私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。
トルコでは、子どもたちでさえ、エルトゥールル号のことを知っています。

今の日本人が知らないだけです。
それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


エルトゥールル号の話は112年前の真実で、17年前のイラン・イラク戦争の時には、多くの日本人がトルコ共和国政府の愛によって救われました。


決して、多くの人には知られていない歴史の真実です。


ちなみに、今回のサッカーワールドカップで、トルコ代表がユニホームを和歌山県串本町に寄贈したということです。

<転載ここまで>



1985年3月、イラクとイランは紛争中でした。

当時のイラク独裁者サダム・フセインは、

「今から48時間後、イランの上空を航行するすべての飛行機を、イラク空軍の攻撃対象とする」

などと、とんでもない公式声明を発表。


当然のごとく、各国政府は自国民をイラクから脱出させようと奔走しました。

そんな中、日本政府の対応は遅れたそうです。


この時、テヘランに取り残された日本人は200人以上おり、日本政府の対応が遅れた事により日航機による救出は、事実上不可能になってしまいました。


伊藤忠商事の森永尭は、トルコのオザル首相に日本人の救出を願い出たそうです。



オザル首相は、

「オーケーだ。すべてアレンジする」、「我々は日本人に恩返ししなければいけないからね」

と言い、日本人の救出を引き受けて頂けたらしい。


すぐにオザル首相の指示を受けたトルコ航空が救助機のパイロットを募ると、なんとその場にいた全員が手を挙げたそうです。


いつ撃ち落とされるとも知れない、命がけのフライトをしてくれたトルコ人スタッフ。


偉大なトルコ政府、そして勇敢なトルコ航空のおかげで、215名の日本人の命は救われたのです。


私達日本人は、本当にトルコ国民に感謝しなければいけませんね!



ちなみに、このトルコ人の親日感情はどこからなのか…

・1890年のトルコ軍艦エルトゥールル号の乗員に対する串本町民の懸命な救助活動に対する感謝

・トルコ人と日本人が中央アジアから東西に分かれて移住していった同じアジア系であるという同族意識

・トルコの宿敵ロシアとの日露戦争での日本の勝利

・敗戦国日本が世界の経済大国へ成長したことへの尊敬等


「エルトゥールル号」の乗組員の救助に当たったことが友好の大きな原点と言われていますが、以上が主な理由みたいですね。



日本・トルコ協会平成22年度年次総会で、協会の総裁を務める寛仁親王殿下のコメントです。


明治23年に遭難したトルコ船救出に多くの日本人が携わったことや、イラン・イラク戦争で邦人救出にオザル大統領(当時)が尽力したことを挙げ、「海で受けた恩義を空で返すという見事な友情物語が、われわれ二国間の長い歴史の中には濃厚に流れています。

このことをわれわれは子々孫々に語り続ける責務があると思います」と述べられた。




このような歴史上の重要な史実と、イラン・イラク戦争でトルコ共和国が行った『日本人救助活動』は、学校教育や日本政府の大々的な広報活動で十分に教えてほしいものです。

子々孫々に伝えられ、未来永劫の友好国としていただきたいものです。



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この記事へのコメント
反日デモ映像ばっか、テレビで観て悔しい!
でも、台湾やシリアやトルコや「親日」の存在感が、うれしい。

イスラム巻では
「礼儀正しい日本人」番組から「親日」の輪が広がってるみたい。

それより 宇宙に行ける大国の 中華人民共和国に金銭援助するの失礼だから辞めません?
2011/06/22(水) 20:34 | URL | たこぴ #-[ 編集]
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