日本兵は今も称えられている    byインド

日本の守護神様、どうか日本を蝕む売国奴議員と特ア3兄弟に天誅を!
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2010/06/07(月)

インド国旗


かつて日本軍は、アジア諸国を欧米の植民地から解放するために戦い、多くの日本兵とインド国民軍将兵が命を落とされました。


インド・ラダ・クリシュナン 大統領

『インドが今日独立できたのは日本のお陰であり、

それはひとりインドだけではなく、ベトナムであれ、カンボジアであれ、

インドネシアであれ、旧植民地であったアジア諸国は、

日本人が払った大きな犠牲によって、独立できたのである』




1998年1月20日 ニューデリー 
インド国民軍大尉 S.S.ヤダバ (インド国民軍全国在郷軍人会代表)

『我々インド国民軍将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表します。

インド国民は大儀のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまで決して忘れません。

我々はこの勇士たちの霊を慰め、ご冥福をお祈り申し上げます。』



*
ヤダフ(インド国民軍大尉)

インドが日本のお陰を蒙っていることは、言語に尽くせない大きなものがあります。

偉大な貴国はインドを解放するにあたって、可能な限りの軍事援助を提供しました。

何十万人にものぼる日本軍将兵が、インド国民軍の戦友として共に血と汗と涙を流してくれました。

インド国民軍は日本帝国陸軍がインドの大義のために払った崇高な犠牲を、永久に忘れません。

インドの独立は日本陸軍によってもたらされました。

ここに日印両国のきずながいっそう強められることを祈念します。



ここに数例ですが、インド大統領をはじめインド要人の日本に対する賛辞を挙げてみました。


これ以外にも、『インドから日本に対する賛辞』は沢山あるんですが、紹介しきれないので省略します。


もっと知りたい方は本当の日本の歴史 (インド編) ← こちらへどうぞ


  
それからもうひとつ…
インドでの日本軍の功績を称えられていることが…

インドのマパオという村では、日本兵を讃える歌が、戦後も長きに渡って歌い継がれています。

歌を作ったのは村の女性みたいです。

彼女は、インド独立のため戦う日本兵士の勇敢さを称え、歌にしたそうです。


「日本兵士を讃える歌」

   

 1 祖父の時代より
   今日の日まで
   美しきマパオの村よ
   いい知れぬ喜びと平和
   永遠にわすれまじ(繰り返し)

   美しきマパオの丘に
   日本兵来たり 戦えり
   インパールの街目指して
   願い果たせず
   空しく去れり

 2 日本兵
   マパオの丘に来る
   それは4日の火曜日
   1944年のことなりき
   我は忘れじ4月のあの日

 3 罪無き民も散り散りに
   西に東に追いやられ
   再び神の恵み受け
   集まり住まん
   この地マパオに

 4 広島の悲報
   勇者の胸をつなぬき
   涙して去れる
   日本の兵士よ
   なべて無事なる帰国を
   われ祈りてやまず



4番の歌詞に、こうありますね…

「広島に悲報 勇者の胸をつらぬき 涙して去れる
  日本の兵士よ なべて無事なる帰国を われ祈りてやまず」



インド国会では会期中の場合、8月6日に広島と長崎の原爆の犠牲者に対して黙祷を行っているそうです。

また、昭和天皇崩御の際にはインド政府は『3日間も喪に服した』そうです(日本は2日間でした)。








インパール作戦

インパール作戦で日本軍は惨敗した。
シンハ村の村長は次のように語った。 

  「レッド・ヒルの争奪戦で、戦死した日本軍の将兵の骨をを集める為、
  村民を総動員した。

  村民は丘の激戦を見ていました。
  日本軍は全滅し、丘は真紅に染まりました」

  イギリス軍がレッド・ヒル(真紅な丘)と名づけた理由がよく分かった。

  村長はその丘の麓(ロッパチン村)にレンガを積んで、

  卒塔婆(高さ約4㍍)を建て、毎年日本軍が玉砕した5月20日には村を
  挙げて法要していると言う。 


  我々は、ロッパチン村の卒塔婆に参拝し、あつく礼を申し述べた。

  卒塔婆の中心に貼られた白い大理石に、雄渾な日本の文字で立派な追悼の
  詩が書いてあるので尋ねたら、村長は「我等の尊敬してやまない牧野財士
  先生が書いたもの です」とほほえんだ。 

  シンハ元村長は、「この頃私は呆けましたが、死ぬまで日本兵の墓を守り
  ます。私が死んだら、息子(現在の村長)が引き受けます。
  その後は孫が守ります」とまことに実直である。 


  この優しい老人の家(村長の家)は、余りにも質素(貧乏)なので心が痛
  んだ。竹の家に、竹の寝台、竹のテーブル、鍋釜と槍だけである。 

  牧野先生は「農地が無かったら老村長はカルカッタに行って出稼ぎ人夫に
  なっていた」と教えてくれた。 

  家の前に3百坪ほどの水田と養鶏場と養鯉池もある。

  畑には豆類と薬草が植えられ、やせた小菊や菜の花が咲いていた。

  完全な自給自足である。

  我々がレッド・ヒルを見上げている時、シンハ元村長は

  「生き残った兵隊はいなかった」

  と涙を浮かべてつぶやいた。



  アジアの曙光 卒塔婆を建てた村長



インド インパール作戦
                 インパール作戦での進軍



いい加減、日本政府にはハッキリと公表してもらいたい!

日本軍は先の大戦で侵略戦争を行った

日本は侵略国家

などというのは、勝戦国である連合国軍の日本占領政策によるあきらかな捏造なのです。

日本軍はどの國に対しても対等、平等の精神を貫き、欧米列強のような搾取も行っていません。


真実は1つです!


いつまで我々のお爺ちゃん達が侮辱されたままにしておくのですか…


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2014/09/06(土) 21:15 | | #[ 編集]
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