イギリスの植民地から解放   byマレーシア

日本の守護神様、どうか日本を蝕む売国奴議員と特ア3兄弟に天誅を!
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2010/06/04(金)


マレーシア国旗


日本は敗戦し、ポツダム宣言を受諾。

日本の無条件降伏で戦争は終わりました…

やがて戦後64年がたち、人々の記憶から戦争の歴史も少しずつ消し去られていきます。


学校の教育では、『日本は戦争でアジ各国を占領し、各地で大虐殺をおこなった』『侵略戦争を行った日本は最大の戦争犯罪国』みたいな教え方しかしませんね。

欧米諸国はかつて、東南アジア諸国を200年以上の長きに渡り植民地とし、教育もさせず工業生産もさせず資源の搾取ばかりを繰り返していた。


他国を占領地としていたのは日本だけではないし、敗戦国も日本だけではない…


なのに、なぜ日本だけが戦後60年以上に渡って、他国に謝ってばかりなのか…


東アジア諸国の大統領経験者や、大臣クラスの要人は『日本がなければ(大東亜戦争を戦わなければ)いまでも奴隷のままであったろう』

『日本が戦わなければ東アジア各国の独立はなかった』

『本来であれば、大東亜戦争は我々が戦わなければならない戦争であった』


とまで公式に表明しているし、記録も残っている。


1995年8月に、村山総理(当時)が公式談話を発表し、日本が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」 と述べ、「痛切な反省の意」と「心からのお詫びの気持ち」を表明した。



しかし、当事者の東アジア各国からは「なぜそんなことを言うのか!」と痛烈に批判されています。
全くもっておかしな現象です。

*
<以下 引用~>

日本軍は驚異的な速度でマレー半島を進撃し、イギリス軍を急追して開戦以来70日でシンガポールを陥落させた。

日本軍は戦前から周到な準備を重ね、陸軍の進撃を海軍と航空部隊が支援し、また歩兵、工兵、戦車がよく協力しあった。

日本軍の南方作戦は順調なスタートを切り、その後3月にはジャワ島、5月にはビルマを制圧して大東亜戦争開戦時に於ける作戦目標を達成した。

一方、イギリス軍は敵を軽視して準備不足のまま戦争に突入した。

隷属化においた植民地から調達した多民族からなる軍隊はまとまりを欠き、陸海空相互の協力も不十分であった。

シンガポールの陥落はイギリスのアジア植民地支配の転換点となり、植民地帝国としてのイギリスの崩壊を決定づけた。

アジアでは民族主義が高揚し、太平洋戦争後のアジアにおいて、これまでの様なイギリスの地位は長くは持たなかった。マレーは1957年にマラヤ連邦としてイギリスから独立する。

兵站に関しては、日本軍はイギリス軍から獲得した食糧、燃料、軽火器等を活用した。

糧食は日本軍のものより味も良く兵士たちは「チャーチル給養」と名づけて喜んだという。

現地での徴発も円滑であった。
当時マレーには500万の人口が居住し、食糧は豊かであった。

このようにして日本軍は補給部隊に依存することなく軽快に行動できた(後日、日本軍は人口希薄で食糧生産の乏しいガダルカナルやニューギニアでは飢餓に苦しんだ)。

マレー作戦で日本軍は初めて英印軍と対戦した。

難なくこれを破ったことで、「中国軍より弱い。果敢な包囲、迂回を行えば必ず退却する」(牟田口中将)という認識を持った。

<引用ここまで>



こんな談話もあります。
当時、マレーシアで日本軍の戦争を経験したマレーシア人の方です。



イスマイル・ビン・ラザク氏 
1927年マレーシア ペナン生まれ 78歳
荷役会社を元経営 現在もペナン在中 一女の父

日本語タイ語を理解する イスラム教徒マレー人である。







 ― 1941年12月8日に大東亜戦争が開始され、パールハーバー攻撃
   とともに英領マラヤのコタバルに日本軍が上陸しましたが、
   その当時、マレーの人はどのような気持ちを持っていましたか。
 


イスマイル 
 ― 当時はマレーシアという国ではなく、イギリスの植民地で
   マラヤと言っていました。
   マレー人とイギリス人はうまくいっていませんでした。
   イギリス人はマレー人を押さえつけて、国の仕事にはもちろん
   マレー人は就けない、マレー人が働いても僅かなお金しか
   貰えなかった。
   教育も受けられない。マレー人に力はなかったのです。
   一人の人間として認められることはなかった。
   人間らしい生活はなかったのです。
   いつの日にか自分たちの国にしようという思いはマレー人に
   ありました。




 ― 日本軍がコタバルに上陸したときどのように思いましたか。

イスマイル
 ― 当時は今と違ってすぐに情報は伝わりません。
   ラジオもない、イギリスの新聞はあったがよくわからない。
   状況は人から人と口伝えで伝わってきたのです。
   イギリス軍を撃破して進む日本軍に私たちは歓喜しました。
   日本人が我々マレー人をたすけに来た。
   ほんとうに嬉しかった。
   マレー人は日本軍を歓呼して迎え入れて協力したのです。




 ― それはイスマイルさんの気持ちですか。

イスマイル
 ― 私だけでなく、当時のマレー人の気持ちです。




 ― 日本軍は誰と戦い、誰が死にましたか。

イスマイル
 ― マラヤにはあと中国人がいました。これは町で商売など
   やっていましたが、日本軍が来るとジャングルに逃げて
   日本軍と戦いました。ですから中国人は死んだでしょう。
   しかしマレー人は死んでいません。




 ― 「プリンスオブウエールズ」 「レパルス」の撃沈を
   知っていますか。

イスマイル
 ― 人伝えで知って、その後新聞に出ました。みんな喜びましたよ。




 ― ペナンに日本軍が来た時の状況を教えてください。

イスマイル
 ― 当時私は15歳でした。
   ペナンにはイギリス軍がいましたがある日、日本軍の飛行機が
   偵察に来て、その後20機が爆弾を落としていった。
   これはイギリス軍の基地だけ攻撃した。
   その様子を目の前にして、見て私たちマレー人は感動しました。
   私たちはイギリス人に蔑まれ虐められていたのですから。
   お前らはバカだ、人間じゃあないと。
   ほんとうに日本軍に感謝しました。




 ― その後ペナンに日本軍が進駐しましたが、マレー人を
   差別したり虐めたりしたことはありましたか。

イスマイル
 ― まったくありません。
   日本軍は私たちに学校教育をうけさせてくれた。
   日本軍の先生がマレー語で教えてくれました。
   仕事もできるようになり、給料もちゃんと払ってくれた。
   イギリスがいたときとは全然違います。
   イギリスは私たちに教育や仕事をやらせなかった。
   日本人はマレーをマレー人に任せるようにしたのです。
   その時のマレーと日本の約束は「お互いに協力していこう」と
   いうことでした。
   マレーは良くなったのです。中国人はジャングルに逃げたままでした。




 ― その後イスマイルさんはどうされましたか。

イスマイル
 ― 17歳で日本海軍に入りました。募集していてテストを
   受けたのです。
   人気がありました。競争率も高かったはずです。
   そして SYOUNANTOU(シンガポール)に行きましたが、この
   ペナンでは25人の青年が行きました。
   マレー全体13の州から何人でしょう、人数は正確ではありませんが
   300人くらいはいたでしょうか。
   SYOUNANTOUにはマレーの青年のほかに、インドネシアの16歳、
   17歳の優秀な青年もたくさんきていました。




 ― 日本海軍ではどんな職種でしたか。

イスマイル
 ― 英語の無線を傍受して日本語にする仕事です。
   潜水艦にも乗りましたし軍艦にも乗りました。
   インドネシアの方までいきましたよ。
   給料は一月300円でしたが、日本軍人と比べても十分なお金でした。
   食べ物も十分ありました。マレー人と日本人との間に
   問題はありませんでした。
   偉い人の名前はニシハラさんです。




 ― 1945年8月15日にDAITOUASENSOUが日本が負けて
   終わりますが、ペナンではどんな状況でしたか。

イスマイル
 ― ちゃんと発表しました。給料はもう払えません。
   ここにあるものは皆さんで使ってくださいと。
   その後、中国人とイギリス人が戻ってきた。再び来たイギリス人
   は以前のような横柄な態度ではなかった。
   マレー人は日本人から多くのことを学んだのです。
   マレー人も以前のマレー人ではありませんでした。




 ― マラヤでの大東亜戦争を、いまイスマイルさんはどう
   思われていますか。

イスマイル
 ― DAITOUASENSOUは感謝しています。DAINIPPONが来なければ
   今のマレーシアはなかったでしょう。最大の感謝の気持ちは変わりません。




マレーシア要人の談話


マレーシア上院議員 ダト・ノンチャック氏


「私達アジアの多くの国は、
日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立出来たのです。

日本軍は長い間、各国と植民地として支配していた西欧の勢力を
追い払い、とても白人には勝てないと諦めていたアジアの民族に、
感動と自信を与えてくれました。

長い間眠っていた自分達の祖国を自分達の国にしよう、
という心を目覚めさせてくれたのです。

私達はマレー半島を進撃していく日本軍に歓呼の声を上げました。
敗れて逃げていくイギリス軍を見た時に、

今まで感じたことのない興奮を覚えました。

しかもマレーシアを占領したヤマシタ日本軍は日本の植民地としな
いで、将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の
国語を普及させ、青少年の教育を行ってくれたのです。


先日この国に来た日本の学校の教師は

「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べにきた」

と言っていました。


私は日本人はマレー人を一人も殺していませんと答えてやりました。

日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍や、そのイギリス軍
に協力した中国系抗日ゲリラだけでした。

そして日本の将校も血を流しました。

どうして今の日本人は自分達の父や兄達が残した、

正しい遺産を見ようとしないで、
悪いことばかりしていたような先入観を持つようになってしまったのでしょう」



大東亜戦争や日本軍を称える談話は、それこそ本当に沢山あります。

ご紹介しきれませんのでこれくらいにしておきます。

マレーシアの記事がもっと知りたければ、
本当の日本の歴史さん ← こちらへどうぞ



マレーシアの国定教科書には、「日本は解放軍であった」と記されています。



マレーの虎と言われた山下奉文中将と日本軍の勝利。



世界中の有識者の間では、『日本はアジア解放の最大の功労者』という意見で一致しています。


『日本軍は侵略者であり虐殺者』と言っているのは、中国・韓国・北朝鮮の特定アジア3国のみであり、史実をネジ曲げているのもこの3国です。


『自虐史観』で日本国民の誇りを奪い、先人たちの尊い尊厳を踏みにじっているのは、日本の偉そうな「反日政治家」であり「エセ評論家」であり「反日日教組」なのです!




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