日本兵は今も国立英雄墓地に眠る  byインドネシア

日本の守護神様、どうか日本を蝕む売国奴議員と特ア3兄弟に天誅を!
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2010/06/03(木)

インドネシア国旗


皆さんはインドネシアが親日国ってご存知でしたか?。

私は今まで、あんまり政治や国際関係に興味がなく、どこの国が日本を良く思ってくれているかなんて知りませんでした。

大東亜戦争では、インドネシアでも沢山の日本兵が戦っていました。
日本の敗戦後も、日本へ帰らずインドネシア独立のために戦った日本兵がいたそうです。


日本の学校教育では、こんなに素晴らしい史実は教えてくれません…
私は、こんな素晴らしいお爺ちゃん達がいらしたことを知らなかった…

本当に無知な自分が恥ずかしい…


他国独立のため、家族の待つ日本へ帰らず命を賭して戦った日本の兵隊さんがいらした…


このような実話を学校の歴史で教えて頂きたい!
日本を誇りに思える若者が確実に増えるはずなんですけど!


『日本は戦時中他国を侵略し、他国民を虐殺し、凄く悪いことをした』とばかり教えますが、そんなに日本国民は自虐的にならなければいけないのでしょうか…


戦後60年以上たちますが、そろそろ学校教育でも『日本は戦時中、アジアの植民地解放のために戦った』と後世の子供達に教えて頂きたい。


全てとは言いませんが、少なくとも『そのような日本兵がいた』ということを…


*
インドネシアの独立記念パレードでは、インドネシア独立戦争の際の日本兵の姿をした人や日本の歌が歌われているそうです。

インドネシア独立戦争には大東亜戦争終了後も日本兵2000人が残り、約1000人が戦死されたそうです。


「彼らが独立戦争に参加した動機はさまざまである」と言われています。

・欧米からのインドネシア解放・独立の為にインドネシアの独立戦争に参加し、インドネシア人と「共に生き、共に死す」を誓いあった者

・日本に帰国したら戦犯として裁かれることを恐れたためにインドネシアに残留した者

・日本軍政期に各地で結成された郷土防衛義勇軍の教官としてインドネシア人青年の訓練にあたった者の中には、その教え子たちに請われて武装組織に参加した者


その日本兵への感謝を込め、インドネシアではこのようなパレードが行われているのです。


そしてその日本兵達は、カリバタをはじめとする英雄墓地に祀られています。

インドネシア、カリバタ英雄墓地
              インドネシア、カリバタ英雄墓地

1958年に訪日したスカルノ大統領は日本へ感謝の意を表し、独立戦争で特に貢献した「市来龍夫」と「吉住留五郎」に対し感謝の言葉を送っています。


市来龍夫君と吉住留五郎君へ。
独立は一民族のものならず全人類のものなり。

1958年8月15日東京にて。スカルノ


その石碑が東京青松寺に建てられています。


また独立50周年となった平成7年に残留日本兵69名に対し、渡辺インドネシア大使から感謝状が贈られスハルト大統領は官邸に招いてお礼を述べられたそうです。





<以下 引用~>

_/ _/ _/ _/ Japan On the Globe (36)
_/ _/ _/ _/ _/_/ 国際派日本人養成講座
_/ _/ _/ _/ _/ _/ 平成10年5月9日 2,458部発行

■独立への願い■

インドネシアがオランダの植民地となったのは1605年、それ以来3世紀半にわたって、人口わずか0.5%のオランダ人が全生産額の65%を独占するという収奪が続く。

  1905年に、日本がロシアを破ったことは、アジア人もまた
  西洋をうち負かすことができるほど強くなれるという信念を
  強化させた。それ以降、インドネシア人は、大国として発展
  する日本にいっそうの注目をそそぎはじめた。
   (インドネシアの歴史家サヌシ・パネ)

独立を願う民衆の間にはいつしか、「いつか北から同じ人種がやってきて、とうもろこしが芽を出して実をつけるまでに(約3ヶ月半)インドネシア人を救ってくれる」という予言が生まれた。



■独立を戦いとれる実力を■

その予言は、1942年3月1日に現実のものとなった。

今村均中将率いる第16軍は、総兵力5万5千をもってジャワ上陸を敢行した。
攻略は上陸後3ヶ月を要するだろうと予想されていたが、わずか10日後にはオランダ軍司令官は全面降伏した。

予言を信じた現地人が、オランダ軍が築いたバリケードなどの邪魔物を取り除くなど、積極的に日本軍の進撃を助けたからだ。

独立運動の指導者スカルノ、ハッタの情熱に感銘を受けた今村中将は、次のように言って彼らを支援した。

 「独立というものは、与えられるものではなく、つねに戦い取るべ
  きものだ。かれらが戦い取ることのできる実力を養ってやるのが、
  われわれの仕事だ」

それから、独立国への準備が始まった。
300近い言語をインドネシア語に統一する州の長官、副長官などに現地人を登用し、州や市の参議会を作って行政や議会運営を習得させる。

さらにインドネシア義勇軍を編成し、3万5千もの将校、兵士を育成した。
これらの人々が後の独立戦争の主役となっていく。



■植民地復活を狙うイギリス、オランダ■

日本軍が降伏した1945年8月15日の二日後、スカルノとハッタは すかさず独立宣言を行う。

18日には、インドネシア共和国憲法を採択し、それぞれ大統領、副大統領に就任した。

しかしイギリスとオランダ連合軍は、植民地の復活を狙い


「日本軍は連合軍が進駐し、交代を命ずるまで現状を維持し、治安を確保すべし。

そのために必要なる武器は保持してもよろしいから、暴動は必ず鎮圧すべし」と命令した。

さらに、「原住民の集会禁止、武器の携帯、民族旗の掲揚を取り締まるべし。

これがためには、兵器の使用も可である。」



との命令が来た。
降伏した日本軍を使って、独立運動を阻止しようというのである。

一方で、インドネシア側は、来るべき独立戦争に備えるためにも、何としても日本軍が保有している武器が必要であった。

今まで日本軍に協力してきた幹部達は、必死に日本軍に支援を訴えた。

独立運動で暴徒化したインドネシア群衆が武器を要求して、日本軍の施設を襲う事件も起きた。

日本軍は断じて、「撃つな、指導者と話し合え」と厳命を下した。

暴徒に銃殺された日本人のなかには、「インドネシアの独立に栄光あれ」と自らの血糊で壁に書き残した人もおり、現地人に多大の感銘を与えて、今も記念として残されているという。



■独立戦争への支援■

日本軍にはオランダ軍の目を盗んで、インドネシア側に協力する人々が現れた。

中部ジャワ地区の馬淵逸雄少将は、廃兵器処理の許可を得るやそれを拡大解釈して、トラック何台分もの武器をチレボン河の河原に捨てた。

対岸で待機していたインドネシア側が、これをごっそり手に入れた。

こうしてインドネシア側に、「小銃3万5千挺、戦車、装甲車、自動車など200台、中小口径砲など多数、ジャワの日本陸軍の装備半分以上」が手渡された。

自ら、軍籍を離脱してインドネシア軍に身を投じた人々も多かった。

その一人「古閑正義中尉」は、熊本県出身。
明治大学で柔道とラグビーの名選手だった。

スマトラのアチエ州で、地元の青年達を 「何が何でも独立を勝ち取れ」と教育していた。

昭和天皇の終戦の詔勅の中の、
「東亜解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ、遺憾ノ意ヲ表セザルヲ得ズ」

という言葉から、インドネシア人を見捨てて日本に帰る気持ちにはなれず、同じ部隊の少尉4名とともに独立軍に参加した。

戦闘に慣れないインドネシア人を率いて、常に先頭に立って、指揮をした。

オランダとの独立戦争は、1949年12月までの4年5ヶ月も続いた。

兵員こそ200万人もいたが、武器は日本軍から手渡された数万挺の小銃が中心である。

オランダ軍は都市への無差別爆撃なども行い、80万人もの犠牲者と1千万人を超える負傷者が出たと言われる。

インドを始めとするアジア諸国がオランダを非難し、国連安保理事会や米国議会も撤兵勧告を行った。

全世界の世論に押されてオランダは、再植民地化を諦めたのである。



■命を捧げてくれた日本青年を偲ぶ■

平成7年5月29日、戦後50年を記念して「アジア共生の祭典」が開かれた。

ちょうど独立50周年を迎えたインドネシアからは、スハルト大統領特使として、陸軍大学長、駐日大使などを歴任したサイデマン外務省上級大使が参列された。

サイデマン大使は、約1万人の参列者に対して、次のような挨拶をされた。

   第2次大戦中、あるいはその直後、植民地の独立のために、
   外国の人々が力を貸してくれるということが見られました。

   私の国インドネシアの場合、多くの日本の青年たちがインド
   ネシアを自由にするために独立の闘士たちと肩を並べて戦っ
   てくれました。

   そして多くの日本の青年がそのために命を捧げてくれました。

   今日このアジア共生の祭典において、私たちの独立のために
   命を捧げてくれたこれらすべての若者たちを偲びたいと思います。

今村均中将の、「彼らが(独立を)戦い取ることのできる実力を養ってやるのが、我々の仕事だ」という、言葉が現実となったのである。

<引用ここまで>



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          カリバダ英雄墓地での安倍首相と宮原永治さん

宮原さんは、1942年3月1日今村均中将率いる第16軍の一員としジャワ島カラワンに敵前上陸。

住民らの手厚い歓迎を前に、「この戦争は有色人種を白人の支配から解放するための戦争なのだ」と確信したと言います。

日本の敗戦で約束は守られなかった。

「だからこそ、我々が約束した独立を助けるため、ここで戦おうと決意した」と宮原氏は言いました。

戦闘に不慣れなインドネシア人にとって、残留日本兵の存在は大きかったのです。



ジャカルタ中心部からほど近い「カリバタ英雄墓地」は、この戦争に命をささげた将兵ら数千柱が眠るこの国で最も荘厳な「聖地」です。

幸いにも生き永らえた元兵士達も、死後はここに「独立英雄」として埋葬される権利を保持していることを最高の栄誉と誇っています。

根元に銀色の鉄かぶとが据えられた灰色の墓石には、ローマ字で日本人名が刻み込まれています。

その数合わせて25柱。

彼らこそ、日本が敗れた後も軍籍を離れてこの地にとどまり、オランダとの戦いに合流したいわゆる「残留日本兵」です。

日本は敗れたのですから、日本へ帰り家族の元へ帰れるにもかかわらず、「我々は白人国家に侵略されたアジアの国を独立させる為に戦っている」という崇高な理念でインドネシアに残ったのです。


上の写真に安部元首相と写る、ジャカルタ在住の宮原永治さんもその一人です。




インドネシア要人の証言


スカルノ氏 インドネシア元大統領


「インドネシアの独立戦争では、約3,000名の日本兵がインドネシアのために戦ってくれました。

私たちはその『心』を大切にし、同じアジアの民族として伝えなければなりません。

その『心』は日本とアジアばかりではなく、世界の平和にもつながるのです。

ところが、インドネシアの独立で通じ合った日本の犠牲的精神を、今の日本の若い人たちはほとんど知りません。

残念でたまりません。

私たちの独立のために戦ってくれた日本兵のことを、きちんと日本で語り継いでほしいと思います。

そしてインドネシアに来られたら、ジャカルタの英雄墓地に眠る日本兵の奥城にお詣りして下さい。

その墓標には、みなイスラムの名前と日本人の名前が彫られています」




ブン・トモ氏 元情報相


「日本軍がアメリカ・オランダ・フランスを我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。

我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。

一度持った自信は決して崩壊しない。

そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。

それなのに全て日本に背負わせ日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった。

申し訳ない。」




アリフィン・ベイ 政治学博士


「我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。

インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。

それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。

我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち独立は近いと知った。

一度持った自信は決して崩壊しない。

日本が敗北したとき、これからの独立は自力で遂行しなければならない。

独力でやれば50年はかかると思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた」






日本の学校教育では、『かつて日本軍は、アジア諸国の独立のために戦った』『アジア諸国では、日本兵が英雄として称えられている国もある』とは教えません…


なぜでしょうねぇ?
なにか都合が悪いのでしょうかねぇ?

中国、朝鮮に遠慮してるんでしょうかねぇ?


いい加減に、『日本は悪かった!』などと言う自虐洗脳はやめましょう!


アホな『特ア3国』を除いて、東アジア各国で日本の戦争責任を問う声はありませんよ!


インターネットが普及し、インターネットを通じて戦争の真実を知りました。


少なくとも私は、涙が出そうなくらい感動しこの方々を誇りに思います。



私の家にも若くして亡くなった軍人さんの遺影があります。


どこの戦地で亡くなったのか、また享年何歳であったのかはわかりません…


安らかに眠られることを願います。


合掌


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この記事へのコメント
私は学校で普通に教わったなw
いい学校だったお(´ ; ω ; `)
2013/01/19(土) 20:24 | URL | 名無し #-[ 編集]
このコメントは管理者の承認待ちです
2016/02/17(水) 22:07 | | #[ 編集]
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