神風特攻隊は今でも英雄  byフィリピン

日本の守護神様、どうか日本を蝕む売国奴議員と特ア3兄弟に天誅を!
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2010/06/02(水)


フィリピン国旗


戦時中に命を賭して戦った『神風特別攻撃隊』の存在を知っている人が、今の若者にどれだけいるでしょうか…

まだ18~25歳の若者が、『日本の未来のために命を賭して』戦われました。
アメリカを中心とする連合国軍将兵を『カミカゼ』として震えあがらせた。


日本を遠く離れたフィリピンで、劣勢に苦しむ日本軍は「250kg爆弾を積んだ戦闘機ごと敵戦艦へ突入」という神風特別攻撃隊を編成しました。

神風特攻隊


大東亜戦争における日本の精神的象徴ともいえる「神風特攻隊」は、フィリピンの人々に敬われ、そしてその勇気が称賛されています。


そして今でも、「神風特別攻撃隊」をはじめ戦没者の慰霊祭が行われています。

慰霊祭のメイン会場になったマバラカットは、首都マニラの北方約80kmに位置し、戦時中には日本の「神風特攻隊」の飛行基地があった。


フィリピン空軍軍楽隊の奏でる勇壮な『軍艦マーチ』がマバラカット飛行場を見下ろすリリー・ヒルの大地を揺さぷった。
*

<以下 引用~>

フィリピン人ダニエル・ディソンが奔走してフィリピン政府により建立されたカミカゼ記念碑がある。
このあたりは先の大戦中、日本軍が使用していたマバラカット飛行場であり、ここから最初の神風特別攻撃隊が飛び立った。


ディソンが大戦中に日本軍人と出会ったのは11歳の時であった。
一人のフィリピン少年はどのような思いで、このような記念碑を造るに至ったのであろうか。


1941(昭和16)年12月8日、午後1時頃、昼食を終えたディソン少年が立ち上がった所で、突然地面が揺れ、窓がガタガタと鳴った。


祖父が「地震だ、地震だ」と叫んだ。
その後に、ゴーという低い轟音がして、続いて、ポップコーンが破裂するような音が空から降ってきた。


窓に駆け寄って空を見上げると、小さな破裂した煙がいくつも見え、そのはるか上に爆撃機の編隊が二つ見えた。
初めて見る日本軍だった…。


地震だと思ったのは、その爆撃機が落とした爆弾だった。
近くにあるクラーク飛行場は、アメリカ軍の極東での主力基地である。
そこを日本軍が急襲したのだった。


祖父は「何故日本がこんなところを攻撃できるんだ。
日本はずっと遠くにあるはずじゃないか」と叫んでいた。


祖父は新聞で日中戦争の事を知っており、また近くに住む中国人が日本人は残虐だと触れ回っていたので、日本軍をとても恐れていた。


もちろん私は日本軍をとても恐れてはいました。


しかし、その時心の中では密かに日本軍のことを賞賛していました。
何しろ決して敗れないはずの白人を、私達と同じアジア人の日本人がやっつけているのですから。


私達は皆、日本の爆撃機の数を数えていました。私はその光景を忘れません。
12月の深い青色の空に機体が白く美しく見えました。


ディソンの一家は戦闘を逃れて、深い谷間に数日隠れていたが、ようやく静かになったので、町に戻ってきた。町には大勢の日本兵がいた。


ディソン少年の伯父はマニラで日本人と働いたことがあるので、「『アリガト』と言え」と、教えてくれた。


そこで、ディソンらが「アリガト! アリガト!」と言うと、日本兵はみな笑い出した。


何かひどい扱いを受けるのではないかと心配していたディソンは、少しほっとした。


日本兵たちは、ポケットから何かを出して、子供達に渡した。
ディソン少年も一つ貰ったが、それは布でできた小さな袋で口をひもで縛るようになっていた。


巾着である。明けてみると、小さな四角いビスケット(乾パン)と砂糖のボール(金平糖)が入っていた。
それが、ディソンが日本兵からもらった最初のものだった。


妻子を故郷においてフィリピンに駐屯している日本軍将兵たちにとって、フィリピンの子供達は心を和ませてくれる存在だったようだ。


後にディソンの妻になるエンリケッタも、アンヘレスのすぐ南のポラックという町に住んでいて、似たような経験をしている。


近くに日本軍の飛行場があり、毎日そこに行って、雑草を引き抜く仕事をしては1ペソ貰う。


やがて背の低いがっしりとした体格の日本兵が、エンリケッタによくキャンディーやクッキーをくれるようになった。


エンリケッタは飛行士たちとも仲良しになった。
飛行士の一人はエンリケッタを抱き上げて、戦闘機の翼の上に乗せ、その特設ステージで、エンリケッタは得意の歌と踊りを披露した。


司令官はそんな光景をいつも見ているだけだったが、ある時、エンリケッタが熱を出して二日も基地に行かないでいると、トラックで家まで見舞いに来てくれた。


そして袋一杯のキャンディーとクッキーを置いていってくれた。


1944(昭和19)年になると戦局が悪化し、9月21日、アメリカ軍の飛行機がアンヘレス周辺にあるすべての飛行場を爆撃した。


それからは毎日、空襲があった。
圧倒的物量にものをいわせて押し寄せる米軍に、反撃を試みる日本軍に残された手段は、もはや250kgの爆弾を抱えて敵艦に体当たりする特攻攻撃しか残されていなかった。


その頃から、アンヘレスで鉢巻きをした日本軍の飛行士たちを見かけるようになった。


日本の兵隊たちは、彼らと街で会うと、お辞儀をしていた。ある晩、この飛行士たちが泊まっている家からピアノの演奏が始まり、いろいろな軍歌が聞こえてきた。


悲しい調子の曲も流れた。その一つが「海ゆかば」だった。そして翌朝、彼らは飛び立つと、二度と帰ってこないのだった。


昭和19年10月25日、関行男大尉の率いる神風特別攻撃隊「敷島隊」の5機は、ルソン島西部のマパラカット飛行場から出撃し、レイテ湾のアメリカ艦隊に突入していったのである。


この特攻攻撃を皮切りに、終戦までに陸海軍合わせて3375機の特攻機が出撃し、4279名の命が散った。


こうした神風特攻隊も戦後の日本では「戦争の悲劇」の代名詞としてしか語られていない。


ところが、「カミカゼ」を生んだフィリピンではその捉え方がまったく違っていた。


大東亜戦争における日本の精神的象徴ともいえる神風特攻隊は、フィリピンの人々に敬われ、そしてその勇気が称賛されている。


     フィリピンのマニラ市に貼られたフィリピン共和国独立記念日のポスター



平成12年10月25日、フィリピンでは、パンパンガ州マバラカットをメインに、タルラック州バンバン、同州カパスの3か所で、「神風特別攻撃隊」をはじめ戦没者の慰霊祭が挙行された。


慰霊祭のメイン会場になったマバラカットは、首都マニラの北方約80kmに位置し、戦時中には、日本の「神風特攻隊」の飛行基地があった。


フィリピン空軍軍楽隊の奏でる勇壮な『軍艦マーチ』がマバラカット飛行場を見下ろすリリー・ヒルの大地を揺さぷった。


慰霊祭の取材にやってきフィリピン人ジャーナリスト・ジョジョ・P・マリグ氏(25)は語る。


「この式典は日本とフィリピンの関係を知るよい機会です。私は先の大戦で戦ったすべての愛国者は”英雄”だと考えています。とりわけその尊い生命を国家に捧げた神風特攻隊員は英雄です」


式典に参列したダニエル・H・ディゾン画伯(70)は静かに語る。


「いまから35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。涙がとまらなかった。
こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。

同じアジア人として、このような英雄がマバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを”誇り”に思っています」。

「当時、白人は有色人種を見下していました。これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきだとして戦争に突入していったのです。神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の”抵抗”だったといえましょう」


ルラック州バンバン村でも神風特攻隊の慰霊祭が行なわれ、子供達の「日の丸」行進はどこまでも続いた。

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式典に参加した地元サン・ロック高校の女子学生達は声を揃える。


「Brave!」(勇敢)その中の一人が続けた。
「フィリビンにも”英雄”はたくさんいます。


ですから私達も神風特攻隊という日本の”英雄”をたいへん尊敬しています」


私は学生達にもう一度訊いた。
「君達は、カミカゼのパイロットを尊敬しているのですね」。


屈託のない笑顔で皆は答えた。
「もちろんです!だってあの人達はヒーローですもの」


帰路につこうとする我々を子供達は「日の丸」の小旗をちぎれんぱかりに打ち振って見送ってくれたのである。


日本人参列者はこの光景に胸を詰まらせていた。
涙で頬を濡らす者もいた。


アジアの国々から、常に戦争の責任を追及されていると思い込んでいる我々日本人にしてみれぱ、かなり意外で嬉しいハブニングであった。

<引用ここまで>


動画 神風特別攻撃隊 フィリピン編 (泣けます…)


フィリピンの国歌には「誉れ高い英雄達の生まれた国を崇めよ」という一節がある


かつて日本軍は、自らの尊い命を犠牲にしてもアジアの開放の為に戦いました。


日本では特攻隊といえば、『無駄死に』『最も愚かな愚行』『軍国主義に洗脳された被害者』だとか、いろんな誹謗中傷が多い…


しかし当時特攻隊に志願した方達は、勝てる見込みもない作戦に参加した…

『自分達が少しでも敵戦力をそがねば…
このまま敗れれば、連合軍は勢力を拡大し日本本土へ近付いてしまう。

そうなれば、必ず本土空爆を実施する。
祖国に残した愛する者たちが被害を受けるかもしれない…』


愛する者達のために己を犠牲にして戦った方ばかりです!


祖国のため、両親のため、妻や子供のために戦って亡くなった英霊への誹謗中傷は絶対に許せません!


五百年~千年も前の出来ごとではないのです!


若き日の私たちの『お爺ちゃん』世代の方々が、命を掛けて戦ったのですよ!


『かつて、身を持って国を守った若者たちがいた』と言う歴史は風化させてはいけません…



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