死を決意した戦慄の玉砕戦!

日本の守護神様、どうか日本を蝕む売国奴議員と特ア3兄弟に天誅を!
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010/06/01(火)
   

大東亜戦争末期、米軍は圧倒的な物資と武力で日本軍を追い詰めていった。

アメリカの日本打倒プログラムは順調に進展しているかに見えた。
有無をいわせぬ軍事的打倒によって、日本に無条件降伏に追い込むことはできそうに見えた。

ところが同じ時期に、米軍部にとって頭の痛い問題が起こる。
それは、ヤルタ会談と同時期に行われた『硫黄島の戦い』(2月19日~3月25日)であった。

太平洋側の小さな島での戦闘であったが、米軍にとってはショックであった。


米軍にとって最もショックだったのは、この硫黄島攻略線で日米の死傷者比率がほぼ1対1の同数になったこと。

ガダルカナル戦闘では23対1と、米兵一人の死傷に対して日本兵23人が死傷であり、しかもそのほとんどが死亡していた。

ところが、戦地が日本本土へ近づいて来るに伴って日本軍の抵抗がより激しくなり、レイテ島の戦闘(44年10月上陸)やルソンの戦い(45年1~2月)では、ほぼ5対1の割合にまで死傷者比率が上がってきた。


米軍は圧倒的な物資と戦力で、常に優勢に戦ってこられた。

ところが硫黄島の戦いに至って、この死傷者比率がほぼ1対1になったのである。
玉砕の島 硫黄島 ←見てね

日本本土に近づくにしたがって、日本兵の抵抗は常軌を逸してくる。

このまま日本本土決戦を迎えれば、日本兵のみならず日本の国民までが猛烈な抵抗をしたらどうなるのか…

物資が不足している日本兵は、米兵の圧倒的な戦力差の前にやがては倒れるであろう。

しかし、日本兵は『米兵を己の命と引き換えに道連れにする覚悟』を示している。

果たして日本本土決戦を楽観できるのか…と、アメリカ側は考えざるを得なくなった。

    

>> 「大東亜戦争 戦慄の抵抗の果てに」 の続きを読む
スポンサーサイト
2010/05/31(月)
      

大東亜戦争末期になると、米軍の圧倒的物量、圧倒的な兵器の差により日本帝国軍の戦況は絶望的な抗戦の時期に入っていきました。

そんな戦況下で特攻隊や、アッツ島・サイパン・グアム・ペリリュー・硫黄島などの玉砕戦が行われました。

なかでも硫黄島や沖縄の戦闘は、戦史にも類例がないほど熾烈なものでした。

<以下 引用~>

硫黄島守備隊は持久戦を展開し、圧倒的な兵力を有する米軍上陸部隊に多大な損害を与えた。

しかし米軍上陸約一ヵ月後の3月17日、壮絶な戦闘を続けてきた日本軍は、栗林中将から大本営に訣別の電文を打電し、総攻撃を最後に日本軍の組織的な戦闘は終わる。

しかしゲリラ戦など、その後6月末まで日本軍による奮戦は続いた。


<引用ここまで>


そして沖縄決戦で沖縄を制圧すると、いよいよ日本本土決戦へとステージは上がっていく予定でした。

実は、米軍は本土決戦へ向けて作戦を考えていました。

アメリカ陸軍によって南九州上陸作戦(オリンピック作戦)と、関東平野侵攻作戦(コロネット作戦)の二つの作戦が考えられており、8月15日の日本の全面降伏がなければ11月1日に南九州上陸作戦が実施される予定だったのです。

>> 「大東亜戦争最後の決戦! 本土決戦の回避 」 の続きを読む
2010/05/30(日)
『平和の礎(いしじ)』の銘板
   沖縄平和祈念公園『平和の礎(いしじ)』の銘板



民主党政権が2009年8月の衆議院選挙の選挙公約で、沖縄の米軍普天間飛行場移設問題にからみ『最低でも県外移設!』と約束していた。


しかし、政権発足から8か月が経過し迷走につぐ迷走で、結局は『辺野古周辺へ移設』で決着しそうだ…


鳩山総理が沖縄を訪問されたときのインタビューに答えて、

『最低でも県外』と言ったのは自分自身の発言。
『党としての公約ではない』
 と、

とんでもない発言をしてしまった…

苦し紛れの発言ですが、そんな発言をしちゃった日には『詐欺師』だの『嘘つき』だの、相当のバッシングを浴びることぐらい解かんないのでしょうか…?


まったくこの首相の思考回路はどうなってんでしょうか…?
結局、鳩山さんと民主党は国民から相当な批判を浴びることになりました。


私の持論ですが、アメリカ海兵隊の基地は中国共の影響力に対して必要であり、沖縄が最も適した場所だと思っております。


沖縄県民の方のご苦労も判らずに、勝手な発言で申し訳ありません!

>> 「大東亜戦争最後の決戦! 沖縄の悲劇 」 の続きを読む
2010/05/29(土)

硫黄島


硫黄島って皆さんご存じですか?

大東亜戦争末期に、日本の本土防衛のため世界戦史に残る玉砕戦があった島です。

クリント・イーストウッド監督(76)の大作映画「父親たちの星条旗」や「硫黄島からの手紙」の舞台となったことでも有名です。


硫黄島の戦いは1945年2月16日 - 1945年3月26日)は、太平洋戦争(大東亜戦争)末期に小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間に生じた戦闘です。


日本軍は、20,933名の守備兵力のうち20,129名までが戦死。

一方のアメリカ軍は、戦死 6,821名、戦傷20,1865名。

大東亜戦争後期のの戦闘において、アメリカ軍地上部隊の損害(戦死・戦傷者数等の合計)実数が、日本軍を上回った壮絶な戦いがあった島でもあります。


今もなお、1万名以上の日本兵の遺骨が眠っておられます。

>> 「玉砕の島 硫黄島」 の続きを読む
2010/05/28(金)
     パラオ

パラオにペリリューという島がある。
南北9キロ・東西3キロ・高さ80メートル・全体で20平方キロの珊瑚礁の小島である。

ペリリュー島は、知る人ぞ知る大東亜戦争末期に於ける日本軍玉砕の島です。
大東亜戦争中、日本軍は太平洋の島々で玉砕するまで戦いました。

私たちの祖国『日本』を守るために!


パラオでの戦戦死者数は 10,695名 
兵力弾薬もほとんど底を突き、司令部は玉砕を決定。

地区隊長中川州男大佐(歩兵第2連隊長)と村井権治郎少将(第14師団参謀)、飯田義栄中佐(歩兵第 15連隊第2大隊長)が割腹自決した後、玉砕を伝える「サクラサクラ」の電文が本土に送られ、翌朝にかけて根本甲子郎大尉を中心とした55名の残存兵力による「万歳突撃」が行われた。



1994年10月1日にアメリカの統治下から独立し、現在はパラオ共和国として独立国となっています。


しかし、パラオ共和国の国旗は日本と良く似ていますね。

一説ですが、
「独立にあたり国旗を制定することになり、国民の間から一般公募しました。
結果、日の丸をもじった今のデザインに決まったようです。

ただし、パラオの国旗の満月は日の丸の旗の太陽とは違って、中心から少しズレている。

日本に失礼だからと、わざと中心をはずしたのだそうだ。」


とも言われています。

>> 「玉砕の島 ペリリュー」 の続きを読む

 | Copyright © どうしよう…  もう日本人やめよっか? All rights reserved. | 

 / Template by パソコン 初心者ガイド
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。